甲信御岳参詣道の復活⑪-オオカミ伝承(その6) 

大学の講義もあと1週間になりました。
研究室の庵主も企業の勤め人時代に比べて忘年会は減りましたが、それでもいくつか入って疲れ気味です。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ 積雪の範囲が少しづつ広がっているようです。
20171215風景

金峰山西口方面の続・オオカミ伝承
現在の北杜市でも大泉町や高根町は金峰山の参詣道には直接関係はないようです。これらの町域も、西口の隣接地ということで引き続いて伝承を取り上げてゆきたいと思います。

●長坂町誌編纂委員会『長坂町誌 下巻』(長坂町、1990)

[西2-1]
  棺を穴に埋めてしまった後、旗・ちょうちん・幟などをつけてきた竹を弓なりに曲げて盛り土の上に刺しておく。これはメッパジキともいいオオカミが来て土を掘り返そうとしても弾いて追い返してしまうようにとの解釈が加えられているが、これも鎮魂の呪いのひとつと考えてよさそうである。今日では墓場が乱れてしまうということで、竹を刺した後はひとまとめにして上部で縛ってしまう。また盛り土の上には石を置いて目印にするというが、これまた鎮魂の呪いである。868



●高根町『高根町誌 通史編 下巻』(高根町、1989)

[西3‐3]山の神の石祠
  東井出集落の上から原長沢を通って、窪長沢で佐久還往に合流する古い道を誰いうことなく三峰街道と呼んでいる。秩父の三峰神社へ代参の人がお参りのために行く道である。三峰参りだけでなく多くの巡礼もこの道を通ったことだろう。
  この道沿いで、船形神社の西の林に、一つの石祠が建立されている。これはつぎのようなことが伝承されている。ある年の秋、白倉某氏の先祖の翁が長沢よりの帰り道、この付近で“やまいぬ”もおそわれた。その後、村民の危害よけに“やまいぬ”を祀ったのだという。以後この道には“やまいぬ”の危害はないといわれている。(植松清秋)918


[西3‐7]山犬のお礼
  大正の初期、六十歳をこえたわが家の祖母から何度も聞いた子守唄代わりの昔話です。
  秋も深くなって、どこの家でも木の葉掃きに精出していたころだったということです。ある朝、おばあさんが雨戸をがたがたとあけると、えんさ(縁側)に大きな山犬がすわっていた。「おっかねえよー」といって家の中へ倒れるようにとび込んだ。しばらく息を整えておそるおそる破れ障子の穴からのぞいて見ると、まださっきのところにすわっている。こまったようと思いながらよく見ると大きな口を開いたままでなんだか涙を流しているようだった。
  おばあさんは『こりゃあ、のどに何かつっかけているな』と思った。障子をあけて山犬のそばに行くと、山犬はしっぽをえんさの板の上で横に振ったので、気をしずめて恐る恐る口の中をのぞいて見ると、大きな白い骨が見えた。おばあさんはこれを取ってもらいたくて家へ来たのだなと思って、「骨を取ってやるからくっつくじゃあねえぞ」といって袖をまくり山犬ののどへ手を入れて骨をとって「ほれーこれをつっかけただぞ。さあ山へけえれ、悪いことをするじゃあねえぞ」とその骨を庭の遠くへ投げ捨てた。
  山犬はしっぽを振って振り返りながら庭を出て行った。おばあさんは、大きな息を肩でして、ぶるぶるっとして家の中へはいったということです。つぎの日の朝、おばあさんが雨戸をあけて見ると、えんさにきれいな大きなきじが一羽置いてあったそうです。(下倉兵文)922


[西3‐8]狼よけ
  昔は狼が多く住んでいたらしい。旅の者も集落の人たちの仕事の帰り、お使いの帰りなどにはずいぶん苦しめられたとのことである。そこで今日は帰りが遅くなる予定の時は、狼の頭がい骨を持って出掛けて狼よけにしたものだと、老人が教えてくれたのをおぼえている。(中島武二)922



Posted on 2017/12/15 Fri. 10:30 [edit]

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甲府ねこ(重複御免)―通番31号 

保護色のつもりだニャ~。
どこにいるでしょうニャ。

ノラ31号

【おことわり】
最近、自由に歩き回る家ネコなのか、地域ネコなのか、ノラなのか判別出来なくなってきちゃいました。カテゴリ名とタイトル名を「甲府のノラ(重複御免)」から「 甲府ねこ(重複御免) 」に勝手に変更しま~す。

Posted on 2017/12/10 Sun. 16:37 [edit]

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甲信御岳参詣道の復活⑩-御霊若宮のオオカミ像 

TVのニュースによると昨日は福岡や広島でも初雪が降ったそうです。
研究室のある甲府は、雨が少ないのと同じ理由なのか、お山の上以外はあまり雪が降りません。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ 山頂の雪が深くなっている感じです。
20171206風景

さて、前回の記事に載せた塚原金峰神社を訪ねた同じ日、もうひとつの探し物があり、甲斐市吉沢から亀沢にある 御領千枚田 を訪ねていました。目的は、亀沢にお住まいの方から、千枚田の近くに祀られている 御霊若宮 にいわゆる「 狛狼 」 (へんな造語ではあるものの、便利なので、この記事でも踏襲します)があるとうかがったので、実地見聞に行った次第です。

御領千枚田のようす(その1)。茅ケ岳が遠望できます。
千枚田1

御領千枚田のようす(その2)。甲府盆地方面です。逆光御免。
千枚田2

実はこのあたりをチャリで走り回ったのですが、発見できず、あきらめて帰ろうとしました。
ただ折角ここまで来たのだからと、吉沢にある 順徳山常説寺 にご挨拶によったところ、七面山に連れて行っていただいた高橋住職が御在宅で、わざわざ御霊若宮に案内していただきました。
高橋上人ありがとうございました。 改めて御礼申し上げます。

そしてご対面。

祠に向かって右側に座るお犬。
御霊若宮1
御霊若宮2

残念ながら2つに割れていました。また口先と前足も落ちており、なかなか往時の姿は想像することしかできません。
口先が長いこと、お顔は丸みを帯びていること、尾が長いことが印象的です。

祠に向かって左側に座るお犬は完全に原型を止めていません。
御霊若宮3

果たしてどのようなお姿だったのでしょう。

ところで、御霊若宮は、別名「姫宮」ともいい、戦国時代の頃まで、3月10日と6月14日の御霊には金櫻神社から神輿を迎え入れていたという伝承もあります( 山梨県教育委員会『山梨県歴史の道調査報告書第12集 御嶽道』(1987))。文化年間(1804~1818年)の間の調査でも、村持ちの神社として記録されています( 赤岡重樹『甲斐国古社史考』(オリオン堂書店、1936) 349頁)。

御霊も若宮も、怨霊を鎮める社につけられることが多い名前ですが、ここの祠はどうなのでしょう・・・。

ところで、山梨県の「狛狼」とググってみると、やはり同好の士がいるようで、探索報告が出てきています。それらによると、参詣道の沿線では、つぎのような寺社にいらっしゃるそうです。
● 神部神社 (北杜市須玉町御門)
● 山神社 (韮崎市穂坂町上今井)
● 浄居寺 (北杜市明野町浅尾新田)
● 法泉院 (韮崎市穂坂町宮久保)


Posted on 2017/12/06 Wed. 10:49 [edit]

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甲信御岳参詣道の復活⑨-南口(塚原)の金峰神社 

12月に入り、年内の講義もあと数回となりました。
けっこうバタバタしています。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ 紅葉も盛りを過ぎたかしらん。
20171204風景

さて、この土曜日は甲府で時間があったので、以前から気になっていた。参詣道南口(塚原ルート)上にある金峰神社を探訪してきました。

甲府市街地から北上し、御岳に向かう道は、甲府市屋形から和田峠を超えて下帯那に向かう道と屋形から塚原を経て塚原峠金子(きんす)峠を越えて上・下帯那に向かう道があります。

塚原金峰神社 (甲府市塚原)
ご祭神 : 安閑天皇
ご由来 : 創建由緒は不明であるが、元は蔵王権現と称して慶長八年御朱印地高壱石六斗社地八百九拾坪余を与へられてをり、代々の将軍朱印状もあって由緒正しい。明治維新に当り神仏分離令あり金峯神社と称し、明治四年村社に列せられてゐる。

以上は山梨県神社庁のウエブサイト( http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1048 )からの引用ですが、ここに書かれているように元々「 蔵王権現 」をお祀りしており、現在のご祭神は明治初年の廃仏毀釈後のご祭神ということが分かります。金峰山の元来の信仰からは蔵王権現様なんでしょうね。

相川を越えると社叢があります。
塚原金峰神社3

参道の入口から甲府市街を望む。逆光御免。
塚原金峰神社2

参道の入口から社殿を仰ぐ。
塚原金峰神社4

社殿の覆屋です。扁額に「金峰神社」とあります。本殿はこの中です。
塚原金峰神社

金峰神社の脇から見る峠道方面。けっこう険しそうです
塚原金峰神社5

「金峰神社」や「金峰山神社」という名称の神社は、北口方面と東口方面に散見されます。それらのお社以外にも、明治以前には「蔵王権現社」という名称であったものも参詣道にはいくつか指摘できます。そのあたりはまたの機会に・・・

Posted on 2017/12/04 Mon. 12:43 [edit]

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甲信御岳参詣道の復活⑧-オオカミ伝承(その5) 

まだ11月というのに日本列島は寒さに震えているようです。
研究室のある甲府も明け方にはかなり気温が下がり、なかなか体がついてゆきません。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ ここ数日の寒さでお山の白さがましています。
20171121風景

金峰山西口方面のオオカミ伝承
参詣道西口方面は現在の北杜市や韮崎市からの道になります。霊峰八ヶ岳の山麓でもあり、オオカミ伝承が多いようです。

韮崎市誌編纂専門委員会『韮崎市誌[下巻]』(韮崎市役所、1979)

[西1‐1]埋葬
  墓穴に棺を納め、枕飯・枕団子、それに位牌の覆なども入れ、近親者は少しずつ土をかけると、全部覆土され、盛り上げた土の上に墓標と錦旗を立てる。五色の旗竿を折って、犬はじきとする。墓穴は深いほど施主は喜ぶ。昔は山犬があさりに来るので、棺を深くうずめ、犬除けの柵も作った名残であろう。508


大泉村誌編纂委員会『大泉村誌 下巻』(大泉村、1989)

[西4‐1]
  棺を穴に埋めてしまったあと、旗や提灯、幟などをつけてきた竹を弓なりに曲げて盛土の上にさしておく。オオカミが来て掘り返そうとしても弾いて追い返してしまうようにとの解釈が加えられているが、これも鎮魂の呪いと考えてよかろう。951


『韮崎市民話伝説集』(韮崎市教育委員会、1967)

[西6‐1]穂坂の山寺 穂坂町
 大石義雄の友人であった。小西行長の末裔、高木虎之助が諸国巡業の際に、信濃路から甲州身延山に参詣の途次道を間違えて茅ヶ岳の東麓まで来たが日暮れて、路は全く不明であった。遥かに東南の方に灯火が見えたので、これを目あてに来て見れば、小さな寺があった。中を窺えば年頃五十位の僧が一人いたので、虎之助はそのわけを話して一宿を願い中に入ると、僧は「此処は穂坂の山寺であって村には一里程隔てた不便な場所だが、よろしくければお宿いたします。」と。彼は喜んで一宿を願い寝床についたところ、夜中になると僧が虎之助の枕もとに来て頻りに起こすので頭をあげて見ると、僧は「さき程穂坂の人が来て死人を埋めてくれと棺(丸桶)をおいて帰った。見れば沢山な山犬が来て仏を食おうとしているので、お疲れのところ見て戴きたいが」と・・・虎之助は「千香に火をつけて窓から犬に投げらっしゃい」と僧は急いでそのとおりにすると山犬だちは驚いてたちまち逃げ去ったので僧は喜んで、無事に埋めたという。
  今も茅ヶ岳南麓に寺窪と称する地名があって、昔東寺、西寺があったと伝えられている。(口碑伝説) 135


小沢猪太郎編『峡北神社誌』(峡北神社総代会、1962)

[西7‐1]金峯山里宮大権社のご由緒
  奥之院 金峯山神を此処に奉還するなり。諺に曰く奥之院は昔より女人の参詣を許さず、老人は御山嶮にして登山し難きに依りて、此処に遷座して老若男女の参詣を許し、貴賤の別なく御神徳を仰ぎ御加護と御恵を蒙らざるはなし。猶登山者は此処にて、其の身の祓を致すこと、古例なり。当社は疫病除猪、鹿、昆虫除の神札を授与す。
 御眷属の御犬あり、~<後略> 



Posted on 2017/11/21 Tue. 12:28 [edit]

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甲府のノラ(重複御免)-猫編30号  

今夜の甲府は寒いにゃ~。
丸まって考えこんじゃうにゃ~

ノラ30号



Posted on 2017/11/16 Thu. 17:02 [edit]

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甲信御岳参詣道の復活⑦-オオカミ伝承(その4)  

立冬も過ぎて、研究室のある甲府も冬の景色になりつつあります。
4年生は卒業論文の準備が本格化してきて、なかなかテンパっている状況です。

けさの南アルプスの様子はコチラ↓ 少し霞んでいます。
20171110風景

御岳参詣道周辺のオオカミ伝承の文献調査も3合目くらいに差し掛かってきました。
忘れないうちに追加の記事を書いておきたいとおもいます。

金峰山東口方面の続・オオカミ伝承

塩山市史編さん委員会『塩山市史 通史編下巻』(塩山市、1998)

[東3-1]逆に塩山市域を超えて、市街の神仏を信仰することも少なくなかった。その代表が三峰神社であろう。この神社には、盗難除けと農作物の豊作祈願のために出かけていった。埼玉県秩父に建立されている三峰神社は、塩山市の各集落からは雁坂峠越えの秩父街道か、青梅街道から一之瀬を経て山間部をたどる道があった。どちらも朝早く発ち、神社に参拝し、お犬様の神札をいただき、その日の内に帰路につくか、ないしは神社の宿坊などに一泊したあと帰村した。ムラでは帰路を待ちかまえ、代表者の家でヒマチが行われた。そのおり各家には神札が配られ、配られた神札は家の入口や倉の入口に貼られた。こうすると神札のお犬様が見張り、泥棒が入らないといわれてきた。
  なお、ムラ全員で参拝に出かけることは、経済的理由などでできなかったので、ムラの代表が赴いた。このような参拝の仕方を代参といい、その組織体を講という。
  下竹森の的場組では現在でも四月二十九日頃に三峰講が行われている。この日、集落内に建立されている三峰神社の社を檜の枝で葺き替え、終わると宿でオヒマチを開き、三峰神社のお札を各戸に配る。お札は一週間ほど前に代参が秩父の本社から戴いてきたものである。729


春日居町誌編纂委員会『春日居町誌』(春日居町、1988)

[東4-1]三 三峯講
  埼玉県秩父山地の東部、妙法、白石、雲取の三峯を主とし大滝村の三峯神社三峯権現が主神である。特に盗難火除けの信仰があり、権現の眷属とする山犬を御犬と言いその御札を門口に貼れば盗難をのがれると言われている。現存する講では岩下、別田、熊野堂などの人たち十数名で続けられており代参人二人は毎年本社へ参拝しているとのことである。また国府地区にもあると聞く。1221


[東4-2]
  枕飯や枕だんごを穴に入れ近親者や送り人は小石や土を墓穴に投げ入れ、あとは棺方が土をかけ埋める。埋葬後「いぬっぱじき」といって青竹を弓なりに曲げて十文字に墓にさしておく。これは犬などに墓を荒らされたいためだという。


日川村誌編纂委員会『日川村誌』(日川村誌編纂委員会、1959)

[東5-1]貞女と山犬
  昔時日川端に在つた称名院が天正元酉年現在の所に引寺する前迄はこの屋敷一帯は長谷川源之亟と云う者の所有地であつた。この屋敷の戌亥の隅に守護神天神様が祠られており御神体は雲慶の作と伝へられ、引寺以来称名院で年々祭りを行つて来たが、墓地が増すにつれて梨の木南割に敷地を設けて此処に天神を移し以来一町田中にて祭典を施行して来たが、明治四十年の大水害によつて水上稲荷境内に移した。この長谷川の娘が川田村長谷川源之亟方へ嫁いだが、間もなく何かの事情で一時実家へ戻つていた所、暫くして婚家の夫が大患いして居る事を聞いたが公然と行く事も出来ず、思案の末こっそり夜行く事に意を決した。
  当時甲府方面へ行くには村西の舞台高地にある重川の土橋を渡り大野の南に出て桑な戸橋から小松に出ていかねばならなかつた。この人里離れた夜道を一人で行く事は並大抵ではない、しかもこつそりと人目を忍んで病人の看護及び一切の世話をして、まどろむ間も無く明け方に又実家へ帰らなければならない、こうした苦難の夜を続ける事一年有余遂に世間に知れたが不思議にこの長い間の夜道を何の事故も無く過ぎた事は、奇しくも一疋の山犬(狼)が何処からか現われて何時も蔭になり貞女の前後を護り送り迎へをした事であつた。即ち貞女は山犬に身辺を護られて長い間の看病を仕遂げたのである。
  この伝説の起りは武田信玄時代より少し以前の事と想像せられ、三井清氏が明治三十二年川田村長谷川源之亟氏に知遇を得た際この伝説を聞いたところ同家の老人曰く「確かに有りました」との事で捏造でも無く事実であると伝えられる。810

Posted on 2017/11/10 Fri. 08:49 [edit]

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