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大正10年の山梨日日新聞「妖怪研究」② 

今週いっぱいで6月も終わります。
夏越の大祓に行かなければなりませんが、さてどこの神社に行くのでしょう。

今日の南アルプスの様子↓ 梅雨らしく厚い雲に覆われています。
20180628風景

さて、前回の記事で書いていたように、大正10年に山梨日日新聞に連載された「妖怪研究」からひとつお話を紹介しておきたいと思います。幽霊譚は避けると書いていましたが、研究室の近所にある 甲府市立新紺屋小学校(明治16年設立) が出てくる幽霊譚--大正10年11月8日付け「妖怪研究(八)納棺の姿其儘に=声迄かけて兄を呼ぶ」--を紹介しておきたいと思います。

意訳していますが、以下のような事例だったそうです。

 新紺屋小学校の先生であるG氏の話。
 本年(大正10年=1921年)6月、新紺屋小学校の1年生のS君(8歳)は、ふとした病気からわずか1、2日寝込んだだけで、死んでしまいました。ちょうど葬儀の夜は大雨でしたが、近所の友人は男の子も女の子も、幼くして死んだS君のために泣き、雨にぬれながらも火葬場へと急ぐ霊柩車(当時は自動車ではなく、台車のようなものだと思われます)を送っていました。しかし、火葬場への道は遠いし、また、夜となり暗くなっているだけでなく、雨が激しく降るため、喪主は柩を見送る子供たちに帰るように言って、無理に帰ってもらいました。それでも親しい友人は雨の中に立って、進んでゆく柩を見送っていました。しばらくすると、ひょっこりと霊柩車の後ろに白地の着物を着て、素足に靴を履いた子供が現れて、さびしげについているではありませんか。柩を送っていたある人がその危なげな様子を見かねて、「危ないから帰った方がよい」とその子供を押すと、その姿は消えてしまいました。
 それから数日過ぎたある日の夕方、死んだS君の兄のK君やそのほか2、3人の友達が集まって、S君の話などをして遊んでいると、「Kちゃん、お家に帰ろうよ」と呼ぶ声がしました。これを聞いた一人の子供が声のした方を振り向くと、白地の着物に素足に靴をはいたS君の姿がありありと見えました。その子は、突然のことで、S君の死んだことも忘れて、「Kちゃん、Sちゃんが・・・」と思わず叫んでしまいました。K君は「Sは死んでしまったじゃないか」といいながら振り返えりましたが、そのときにはもう姿が見えなかったということです。しかし、「Kちゃん、お家に帰ろうよ」と呼んだ声だけは、確かに兄のK君の耳にも響いたということです。
 白地の着物に、帽子もかぶらず、素足に靴をはいた姿は、納棺の時のS君の姿でした。

記事出典:湯本豪一『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』(国書刊行会、2014)1255頁



ここに出てくる火葬場は、大正2年に古府中町内に設けられた火葬場のことだと思われます。設備はもちろん更新されていますが、現在でも同じ場所にあります。

火葬場に続く道以外の場所設定は不明ですし、当時と現在では周囲の状況は異なるのですが、ご参考までに国土地理院の電子国土(http://maps.gsi.go.jp/?z=5&ll=35.99989,138.75#5/35.999890/138.750000/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1)のデジタル地図を加工したものを上げておきたいと思います。

加工した地図はこちら↓ 甲府駅の北東方面です。
妖怪研究8地図

現在の私たちから見ると、非常にシンプルな幽霊譚です。
しかし、何とも言えないさびしさを感じる話だと思います。

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Posted on 2018/06/28 Thu. 16:25 [edit]

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