FC2ブログ

甲信御岳参詣道の復活⑭-オオカミ伝承(その9) 

先週末に大学入試センター試験も終わりました。研究室庵主は非番になったのですが、そのお返しかそのころから今一つ、体力摩耗状態です。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ 気温は上がる予報ですが、どう変化するか。
20180118風景

北巨摩郡教育会『口碑伝説集』のオオカミ伝承(後編)
これまで2回にわたってメモしてきた『口碑伝説集』も最後になります。

[西5‐10‐1]棒道のおくり犬三種1
  明治の初年頃小池忠衛門は中馬おひ(馬方)を業として、谷戸村(大泉村)と信州上諏訪を往来してゐた。春は主として食塩(鰍沢から韮崎を経て来たもの)を、夏から冬にかけては綿、さつま薯、生姜、魚類等を馬の背をかりて諏訪へ運び、諏訪からは春は播大豆、味噌大豆を、秋から冬へかけて米を(松本、伊那等の産)甲州へ運んだ。
  この中馬追いには、本業とするものと、農業の余暇にするものとの差はあるが、ほとんど村内全部のやうにこれをやつたものだ。いずれも馬二、三頭をもち、小泉村小荒間から立沢を経て上諏訪に至る棒道を、雨の日といはず、風の日といはず、通つたものである。
  或る日忠衛門は何時ものやうに米をつけて、上諏訪からの帰途立沢まで来ると、秋の日は、とつぷりくれてしまつた。花戸原にさしかかると名物の送り犬につかれた。賽の河原も淋しく過ぎて小荒間の人家が近くなつたから安心して後ろを見たら犬はいなかつた。小荒間の村屋を出はずれたら、又山犬がついて来た。谷戸村大芦の入口鳩川の橋のたもとで「ごくろうよう」といつたら、犬は姿をかくした。このおくり犬は、人がころぶと噛みつくといふので、中馬追いは夜道となると非常に用心深く歩いたものだ。又腰には沓切りといって小さい鎌を忘れなかった。
  これは護身用と共に、燧石を失つた時にこれで火を起こすのである。火を見ると山犬はすぐに逃げたさうだ。(平井清寿)95-30

  ※谷戸村:現在の北杜市大泉町谷戸  ※立沢:現在の長野県諏訪郡富士見町の一部

[西5‐10‐2]棒道のおくり犬三種2
  明治二、三年頃商用で上諏訪へ行つた帰りの瀬戸左一郎は立沢まで来ると、後ろから急いで来た井出清助と道連れになつた。二人は道連れが出来たのを喜びながら、花戸ケ原にさしかかつた時、左一郎は松の大枝をかついで清助にもかつぐことをすすめた。
  小深沢までくると、例のおくり犬が闇から眼を光らして二人をおくつた。両人は早速沓切鎌で石を打ち火を起こして、先に用意してきた松の大枝を燃し始めた。するとおくり犬は何処かへ姿をかくしてしまつたといふことである。(平井清寿)95-30


[西5‐10‐3]棒道のおくり犬三種3
中島幸左衛門が、やはり花戸原の中程まで来ると、一匹のおくり犬が中馬追いの姿を見ると、道のまん中までのそのそと出て来て、懇願するやうに幾度か頭をさげる風情をして大きく口を開いた。度胸のよい幸左衛門が犬の口の中をのぞいて見ると小さな骨が、口の奥に刺さつていたので手を入れてそれを取つてやつた。すると、その犬は非常に喜んで尾を振り頭を下げて森深くへ立去つた。
  幾日かの後に中馬追いの幸左衛門が花戸原にさしかかると、前に助けてやつた犬が出て来て、彼の袂の端をくはへて引つ張るので犬のなすままに道の小脇の薮のかげまで行つた。しばらくすると闇の中からざはざはすばらしい物音がきこえた。気味わるく思つて耳をそばだて、薮のかげからすかしてみると、それは狼の大群が過ぎ行くのであつた。この大群に出会つたらそれこそ命はあぶないのである。幸左衛門は「畜生でも恩をおぼえてゐたか」と独言をいつた。狼の大群が行過ぎてしまふと、その犬はくはへてゐた袂の端をはなした。(平井清寿)95‐30



関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2018/01/18 Thu. 12:55 [edit]

CM: 0
TB: --

top △

« 本日は甲府市湯村の塩澤寺でご奉仕  |  甲信御岳参詣道の復活⑬-オオカミ伝承(その8) »

コメント

top △

コメントの投稿

Secret

top △

2019-01
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31