留年について-京都大学カウンセリングルームの呼びかけ 

ここ数日甲府は朝夕も過ごしやすい日和です。

雲に覆われている本日の南アルプスの風景はコチラ↓ お山はもうすぐ冬景色でしょう。
20161019風景

昨日、Twitterをのぞいていたらいたところ、京都大学学生総合支援センター・カウンセリングルールのウェブサイトの留年についてという記事が一部で話題になっていました。

URLはコチラ↓
https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/counsel/ryunen.html

かく言う庵主も大学を5年かけて卒業したので、はてさてどんなことが書かれているのか、興味をもって読んだ次第です。論調としては、「大学留年・中退≠順調な人生の破綻・挫折」、ということでした。最近の京大生はこんなことを深刻に悩んでいるのかと思いつつ、記事を引用をさせてもらいながら、簡単に紹介したいと思います。なお、カウンセリングルームによる記事であり、学生の精神的な支援に目的があることは、承知しておく必要があります。

まず、記事は、留年一般について、大学では高校までとは違って、少なくない学生が留年していることを指摘し、その理由が大学というシステムにあるとしています。京都大学でも約2割の学生が留年しているとしたうえで、

これだけの数の人が留年したり、退学したりするということは、留年や退学は、単に個人の失敗としてのみ捉えられるべきものではないということです。つまり、現在の日本の社会において大学というシステムは、一定数の留年や退学を生み出すようにできているものなのだということです。
 そこには、大学入学に至るまでの進路相談やキャリア教育の体制、大学の入試のあり方、カリキュラムのあり方、修学支援体制、転学科・転学部制度、編入学制度、大学での進路相談やキャリア教育の体制、企業の採用のあり方など、数多くの要因が多重に関与しています。
』 


上記のような理解に立った上で、不本意に留年してしまった場合には、留年を繰り返すおそれがあるとし、その要因として、次の6つをあげています。

(1)留年を家族や友人に隠そうとする
(2)一挙に挽回しようとする
(3)日々の楽しみを自分に与えない
(4)卒業しなければ生きていけないと考える
(5)時期尚早に「来年からがんばろう」と考える
(6)自分は他の学生より明確に劣っていると考える


これらの要因から、繰り返しの留年にスパイラルに陥らないための方策をあげています。たとえば、朝に出かける習慣をつけようだとか、学内のネットを使って大学の情報とつながろうだとか、普通の生活をしようといった提案です。この提案を見る限り、かなり精神的に参っている学生に向けた記事のようにも見えます。

記事の最後には、「留年・中退というキャリア」との見出しで、冷静に自らの人生を考えてもらう提案をしています。少し長目に引用をしてみたいと思います。

 もしあなたが「留年したら終わりだ」とか「中退したら破滅だ」とか、悲壮な思いで考えているとしたら、冷静になって欲しいと思います。全国平均で、大学を中退する人は入学生の1割ぐらいいます。つまり、毎年、おおよそ5万人の大学中退者が生み出されているのです。留年する人も2割ほどいます。  <中略>
 留年中の人は、中退してしまったら就活で不利になると恐れている人もいるかもしれません。たしかに、企業の採用方針の狭量さゆえに、現在のところそういう現実があることは残念ながら否定できません。調査では、大学中退者は、全体として非正規雇用就労者の割合が高いということが示されています。調査からは他にもさまざまな面で大学中退者の困難な就労状況が読み取れます。 <中略>
 しかし、そうした不条理な現状を踏まえた上で、だからといって中退したら人生が終わりだとか、破滅だとかいうわけでは決してないということにも目を向ける必要があります。 <中略> 著名人に限らず、当たり前に普通に働いてこの社会を支えている大学中退者はいくらでもいるのです。留年経験者なら、なおのこと、たくさんいます。

 <中略> でも、正直に言えば大学生活に意味を感じられず、退学したいし、その方がいいんじゃないかと思っているけれども、退学したら「人生破滅」だという恐怖のイメージから、やはり退学はできないという考えに傾いている人もいるかもしれません。自分には合っていない、やめたい、という心の声がしても、いったん始めたことを途中でやめるのは意気地なしだとか負け犬だとかいう考えのために、その心の声に耳をふさいでいる人もいるかもしれません。期待してくれている親やお世話になってきた先生に申し訳ないという思いから、どうしても退学は口にできないと考えている人もいるかもしれません。
 続けるという選択を支えている根拠の大きな部分が、やめられないという理由にあるのなら、一度、やめるという選択肢を落ち着いて現実的に考えてみてはどうでしょうか。大学をやめてできることを考えてみましょう。胸の奥やお腹の底から聞こえてくる心の声にじっくり耳を傾けてみましょう。そういう作業を十分に経た上で、やっぱり続けるという選択になる場合もあるでしょう。その場合でも、やめるという選択肢を検討することは無駄ではないはずです。やめるという選択肢を十分に検討することで、続けるという選択は、より積極的で能動的なものになることでしょう。
 みなさんの人生の時間は有限であり、貴重なものです。みなさんが有意義な決断をされることを願います。日本の社会の現状において、こうした判断は誰にとっても難しいものです。人生の岐路において、絶対に失敗のない完璧な決断などありえません。迷って当たり前、たじろいで当たり前です。必要ならば一緒に考えていきましょう。それとともに、大学における進路変更がより自由に安心してできるような社会をみんなで実現していきたいものです。
』 


研究室の庵主が卒業した法学部では、旧司法試験の時代でもあって、約3割の学生が留年していました(留年1回では終わらず、2回や3回というのざらでした)。これらの留年は、上記の記事と異なり、不本意な留年ではないということになります。もちろん同級生の中には、単純な単位不足による留年者(庵主もこれに近い!!)もいました。

確かに彼・彼女は今何をしているんだと、庵主の同窓生の間でも情報のない人や極めて情報の少ない人はいます。しかし、不本意な留年=ドロップアウトとなっていないことは、庵主の経験からも断言できます。長い人生を想像してみましょう。

ただし、地方国立大学で教員をしていると、留年しても大丈夫だよ、と簡単に言えない事情があります。それは、学生(あるいは親)の経済問題です。実家の経済事情から自宅通学できる地方国立大学を選択したという学生が毎年少なからず入学しています。

京都大学の指摘するように留年が大学や社会というシステムに起因する必然ならば、これらの学生たちが勉学を続けるという選択肢を確保できる社会にしてゆくことを求めてゆきたいと考えています。

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Posted on 2016/10/19 Wed. 12:37 [edit]

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