甲府地裁平成民事裁判例紹介(8)-平成15年11月25日判決 

前期の成績評価が昨日終了したので、一段落している研究室の庵主であります。

ここ数日暑い日が続き、午後になると毎日夕立が来ています。本日もやってきそうな雰囲気です。
 →記事を書いているときに軽く夕立がきました。

今朝の研究室の窓からの南アルプスはコチラ↓ 夏場はすっきり見える日は少ないです。
20160805風景

さて、本日紹介する裁判例は、山中湖畔の土地をめぐる山中湖村(原告・反訴被告)村民Y(被告・反訴原告)との争いです。本訴は山中湖村のYに対する所有権に基づく土地の明渡しを求める請求、反訴はYの山中湖村に対する当該土地を含む周辺の土地の耕作等の妨害禁止などを求める請求がなされました。争点はいろいろとあるのですが、今回はYが占有使用する土地に関して、Yが主張する入会権または使用貸借類似の無名契約に基づく使用権原を中心に紹介したいとおもいます。

【事案の概要】
 山中湖村は、「山中湖村総合湖畔緑地公園」建設のため、2000年(平成12年)12月から翌年6月にかけて所有者であった東京電力から山中湖村平野所在の山中湖畔の土地(以下「本件土地」という。)を買収した。Yは、この本件土地の一部(以下「Y土地」という。)を養魚場および農耕地として使用していた。Y土地を含む本件土地の歴史的な経緯は裁判所の認定によると以下のとおりである。
  [明治から大正時代] 旧来から入会が行われていた村持地(部落所有の共有の性質を有する入会地)は明治初年以来個人分割されてきたが、大正半ばには村持地の大部分が全入会権者による個人分割、あるいは共有名義とした。後者の土地については、将来の公益費用の支出に備えた財産確保と部落民の共同利用を目的とされた。
  [昭和大正から第二次大戦期] 1926年(大正15年)から翌年にかけて、桂川に水力発電所計画のあった東京電燈(東京電力の前身企業)に仲介者経由で所有権移転。所有権移転前後を問わず、採草地などとして部落民による共同利用がされていた。
  [第二大戦敗戦後] 終戦直後の食糧難の時代には農地のない部落民に割り当てて水田等に使用されせていたが、農政が減反政策に転じたことにより、部落民の共同耕作に切り替え、1999年まで継続していた。その間、1947年(昭和22年)に平野区と日本発送電(国策会社。後に分割し、各電力会社に吸収される)との間で使用貸借契約書が締結された(その後は東京電力との間で1954年、1961年、1967年、1978年、1988年に合意更新されている)。その後土地を買収した山中湖村の村長と平野区長との間で、2002年(平成14年)の期限到来をもって使用貸借契約を終了させ、更新しない旨の合意がなされた。
 
【判決の内容】  請求容認・反訴請求棄却
 Y土地のうち農耕地として利用されている土地について、当該土地を含む本件土地の東京電燈への売却後も、「平野部落民による共同利用がされており、さらに、戦後に至っては本件土地の大部分について平野部落の統制のもと個々の構成員が水田として利用するようになり、減反及びこれに伴う奨励金の分配が問題になると、そばを共同で耕作し、奨励金も平等に分配するなど、平野部落の統制のもと利用されてきたこと」を認めたものの、売却後の平野部落民の利用は入会権や平野部落と東京電燈等との間の永久かつ自由な使用という合意に基づいてなされたものとは認めることができない」とし、Yの主張を認めなかった。その根拠として、1947年の日本発送電と平野区(この時点では平野部落と同一視することができる。)との間の使用貸借契約の内容につき、「使用目的を農耕のみに制限し、浸水による農作物被害の補償をあらかじめ放棄するもので、その期間も5年間という短期に区切るなど平野部落構成員の本件土地利用に著しい制限があった。平野部落による本件土地の利用が入会権ないし平野部落と東京電燈及び日本発送電との間の永久かつ自由な使用という合意によるものであったのならば、平野区すなわち平野部落がこのような不利な条項の契約を締結するとは到底考えられない。さらに、かかる使用貸借契約が概ね同じ内容で5回にわたり更新され、当初の契約締結から55年余り続いていたことにかんがみれば、上記使用貸借契約の内容は本件土地が東京電燈へ売却された後の平野部落と東京電燈等との間の合意内容に即した内容であったものと解するのが相当であ」ることをあげた。そして、本件土地の使用が「むしろ使用貸借契約に基づくものと認めることができるから、仮に東京電燈に所有権が移転する以前に本件土地の一部について平野部落の入会権があったとしても、東京電燈への売却により入会権が消滅したと解するのが相当である」とし、たとえYが「入会集団である平野部落の構成員であったとしても、本件土地に入会権又は永久かつ自由な使用を内容とする使用貸借契約類似の無名契約に基づく使用収益権を有することはなく」、本件土地の一部であるY使用の農耕地についてもYは占有権原を有しない。
 次に、Y土地のうち養鯉場として利用されている土地については、Yの父が1937年に山梨県知事から養鯉場の許可を受け、その後同人およびYが養鯉場として占有使用していることは認められるものの、上記許可と使用権原とは関係はなく、また、Yの祖父または父が「東京電燈との間で永久かつ自由に養魚場として使用できる旨の使用貸借類似の無名契約が成立した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はな」い。むしろ、日本発送電または東京電力と平野区との間で使用貸借契約が締結されていることからすれば、Yらの占有使用は事実上の使用に過ぎない。仮に平野区からの転貸だとしても、2002年の使用貸借契約の期限到来により、その権原も喪失し、いずれにしてもYは使用収益権および占有権原を有しないとした。

【紹介】
1.最初に場所を確認しておきましょう。現在は、「山中湖交流プラザきらら」になっています。
  

2.Yの使用権限が入会権あるいこれに準ずるものなのか、単純な使用貸借なのかが、争点になっています。裁判所も入会権がかつて存在したことは認めた上、昭和初年の東京電燈への売却をもって入会権が消滅したとしています。当時の東京電燈の取得目的からすると、入会権者の部落民全員が入会権を放棄する意思があったとは言い切れないような気がしますが、どうでしょうか?
3.事案の概要では割愛しましたが、東京電力は山中湖村への売却時に「湛水地役権」という権利を設定しています。実際の登記簿を確認していないので、今回の湛水地役権の具体的な権利内容はわからないのですが、現に耕作されている遊水地などでしばしばみられるものであり、国交省のお役人さんの論文(山本進「遊水地事業における湛水権原の確保手法-上野遊水地から考える」近畿地方整備局ウエブサイト)によると、①遊水地の越流堤設置に起因する浸水及び冠水を認容すること 、②遊水地の機能の保全の妨げとなる工作物の設置などの禁止だそうです。
4.平野部落には、問題となった土地以外に(判決では入会消滅)、富士北麓梨ケ原共同入会地(自衛隊北富士演習場)三国峠・山伏峠間の県有地2か所の計3か所の入会地が現在もあるとされています。この部分は傍論なので法的な効果はありません。
5.反訴原告Yさん以外の耕作者は土地の明け渡しを了解したとのことです。この点、Yさん側の法律鑑定をした宮平真弥流通経済大学教授による判例研究があります。この判例研究はCiNiiのオープンアクセス論文になっています。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007190479.pdf?id=ART0009149338&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1470376444&cp=

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Posted on 2016/08/05 Fri. 16:51 [edit]

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