甲府地裁平成民事裁判例の紹介(4)-平成20年10月10日判決 

今年も2か月足らずになってしまいました。
山梨大学でも今月あたりから入試の準備が本格化してきます。

今朝の研究室の窓からの南アルプスはコチラ↓ 紅葉が始まっています。
20151104風景

研究室の庵主はこの週末は、中四国地域の法学・政治学の研究者が主要メンバーの学会に参加するため、岡山大学まで出かけてきました。
いくつか研究報告を聴講したのですが、広島大学の宮永文雄教授の報告「所有者不明の土地の時効取得者による国に対する所有権確認訴訟」の中に、このシリーズに関連する甲府地裁の裁判例≪甲府地裁平成20年10月10日判決(所有権確認請求事件)登記情報602号133頁≫が出てきました。報告は民事訴訟法の観点からのものであり、庵主の専門外なのですが、忘れないうちに紹介しておきたいと思います。

【事案の概要】
原告(X寺)は、山梨県甲斐市所在の本件土地につき、X寺が宗教法人として法人格を取得した昭和30年から20年間占有しているとして、所有者であるとする国(Y)に対し、時効取得による所有権の確認を求めた。ただし、本件土地は、不動産登記簿上表示登記として、地目「墳墓地」、地籍「165平方メートル」と記載されているものの、所有者欄には記載がなかった(甲府地方法務局に保管の旧土地台帳も同様の記載)。
X寺の主張に対し、Yは、この訴えは被告適格(被告となる資格)ひいては確認の利益を欠く不適法なものであると本案前の主張をした。すなわち、本件土地は明治7年に一旦官有地とされたものの、その後民有地に編入されており、仮に不動産登記簿に所有者が表示されていなくても、直ちに無主物とされ、国庫に帰属するものではないこと、本件土地について現に紛争が生じているわけではないことから、X寺とYとの間で所有権の確認をしたとしても、原告の権利または法律的地位の危険・不安は除去されるものではない、と。

【判 旨】
請求認容。
本件土地の所有権については、江戸時代末期以来X寺が占有しており、現実の支配関係があったものと認定できるものの、だからといってX寺に所有権があったということはできない。そして、「証拠拠上、本件土地の本来の所有者を明らかにし得る証拠は何ら存在しないのであるから、不動産登記簿上所有者の記載のない本件土地は、これを無主の不動産として国庫の所有に帰したものと解せざるを得ない」とし、Yに所有権があるとした(Yを被告とする所有権確認の訴えの利益を認めた)。
X寺の所得時効の成立要件についても、「原告は、昭和30年5月26日に法人格を取得した以降、昭和45年ころまで檀家が本件土地に入り、原告が使う一年分の薪を切り取り、土地を整備し、その後は2年に1度くらい原告の檀家が本件土地に入り、雑木の伐採、竹木の間引き、雑草取りの作業を行っており、これに対し誰からも異議の出た事実が存」せず、また、「薪を切り取る必要がなくなった昭和45年以降、本件土地にはあまり人が立ち入らず、荒れた状態となり、同時に原告による本件土地の管理の程度も密ではなくなったことが認められるのであるが、それでも、原告が昭和45年以前の管理を継続し、少なくとも2年に1度程度本件土地の管理行為を行い、これについて第三者が異議を述べることもなく、第三者が本件土地の管理占有行為をなしたといった事実を認めることもできない」と認定し、X寺の本件土地に対する客観的に明確な程度に排他的な支配状態が続いており、要件を満たしている。

【紹 介】
1.土地にはそれぞれ1筆ごとに登記情報(不動産登記法改正前は登記簿)が備えられており、その登記情報に所有者の情報が記載されています。この記載の意味は、所有権を有する者が自らの所有権を第三者に主張することができるという点(対抗要件といいます)にあります。本件と同様に、何らかの事情で、所有者欄に記載がないものも存在しています。
 このような場合に、登記上所有者をX寺とするためには、所有権の確認判決によるしか実際のところ方法がありません。その確認判決をとるための相手方(被告)として、国が適切かが問題となったわけです。甲府地裁では、民法239条2項(所有者のない不動産は、国庫に帰属する。)が適用されるものとして、Yが所有者であるとの原告X寺の主張が認められたのですが、控訴審(東京高裁平成21年10月14日・登記情報602号129頁)、上告審(最高裁平成23年6月3日・集民237号9頁)では、Yの所有権を否定し、いずれも確認の利益がないとして、原告が敗訴しています。

2.明治初年の土地の変遷について、高裁の認定が詳しいので、そのまま引用しておきましょう(証拠部分省略)。
「第3 当裁判所の判断
 1 確認の利益について
(1) 証拠(証拠は認定事実に掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア・イ <略>
ウ 江戸時代においては、所有権の権利概念がなく、官有地と民有地の区別もなかった。明治維新政府下となり、明治4年正月5日太政官布告第4号(社寺上知令)は、各藩が版籍奉還したにもかかわらず社寺のみが土地と人民を私有するのは不相当だからこれを召し上げるものとし、社寺財産は、社寺所有の現境内地以外のほかはすべて官有地とされた明治6年3月25日太政官布告第114号「地所名称区別」が定められ、土地は、神地、官有地、公有地、私有地あるいは除税地に分類された。
 次いで、明治7年11月7日太政官布告第120号「改定地所名称区別」により、官有地と民有地の種別を具体的に示し、官有地を第一種ないし第四種に、民有地を第一種ないし第三種に区分し、民有地についてはすべて所有権の帰属を証する地券状が発行されることになった。墳墓地(同年4月20日の「墓地処分内規則」で、墳墓とは「死人ヲ埋メ石等ヲ以テ其地ニ標識スル」ものであることが規定された。)についても、官有地あるいは民有地のいずれかに区分され、無税の方針が打ち出された。民有地でない墳墓地は官有地第三種として地券を発行せず、民有地に属する墳墓地については、民有地第三種として地券が発行されることになった。
エ 明治8年7月8日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」により「従前官有地ニ設クル墳墓の地区域ヲナシタル地ハ今度更ニ民有地第三種ト定メ人民共有墓地トナスヘキコト」と定められ、墓地について統一した無税策が採用され、従前官有地に属した墳墓地は、官有地から民有地第三種(民有の共有墓地)に編入され、更に明治9年6月13日太政官布告第88号により、従前の民有地第三種が同第二種に改められた。
オ これら所有者等の状況を明らかにするために明治22年に地券制度から土地台帳制度に切り替わ」った。

3.このX寺は、甲斐市敷島にある「常説寺」だと思われますが、判例情報では公表されていないようなので、推測ということで留めておきたいと思います。
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Posted on 2015/11/04 Wed. 17:33 [edit]

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