歴史学から学ぶ-大藤修『日本人の姓・苗字・名前』 

またまた長らく更新を怠っている間に、お盆休みも無事に過ぎました。
今日の研究室の庵主は入試関係の校務をするために、朝から大学に登校しています。

今日の研究室の窓からの南アルプスはコチラ↓ 山の様子から見ると2000m以上は雲の中です。
20150819風景

さて、このお盆期間中、歴史学者の大藤修先生(東北大学名誉教授)の『日本人の姓・苗字・名前』歴史文化ライブラリー353(吉川弘文堂、2012年)という本を読んでいました。目的は、ゼミの学生が「選択的夫婦別姓」の報告をするとのことだったので、それに先立ってもう一度「姓」、「苗字」、「氏」などの歴史的な意義を確認するためでした。

大藤先生の本の表紙はコチラ↓ 
日本人の姓

大藤先生の本で得た知識をひとつ(民法を専門と言っているくせに、知りませんでした・・・。家族法は専門外と言い訳します。)。

● 太政官は、明治8年(1875年)の「平民苗字必称令」に関連して、石川県からの伺いを受けた内務省からの問い合わせに対し、翌年3月、婦人は他家に嫁いでも「所生の氏」を称し、夫の家を相続した場合に限って、「夫家の氏」を称すべきであるとの指令を行った。夫婦別氏の指令
● この指令に関しては、諸府県から異議申し立てが相次いでなされた。その理由は、民間にあっては、妻が生家の氏を称する例はわずかで、婚家の氏を称するのが一般の慣行であるとする。
● 明治11年の民法草案では「夫婦同姓」と、また、明治21年の第一草案では「夫婦同氏」とする規定となっていた。

そして、その後旧民法(「家族同氏」)の制定議論を経て、現行民法の夫婦同氏(民法750条、戸籍法16条、同74条)となっています。明治初年の夫婦別氏は平民(それまで公的には氏を名乗れなかった人たち)の問題であり、妻の出自が重要であった支配階級の伝統を重視する政府では、旧民法の議論に至るまで、夫婦別氏的な立場だったそうです。

民法研究のうち解釈論(既存の条文を解釈し、具体的な問題の解決につなげる議論)ではもちろん、立法論(ある社会的問題を解決するためどのような法を定めるのかの議論)でも、歴史的な事実は重視されるべきものだと庵主は考えてきました。

ところが、大藤先生は夫婦別氏(別姓)をめぐる現在の議論について歴史学の立場から警鐘を鳴らしていました。少し長くなりますが、上記書籍のその部分(220頁)を引用しましょう。

 「夫婦別氏」反対論には、それを認めると家族の絆が弱まり、伝統的な「家族」の制度が崩壊する、というものが多い。しかし、その場合に想定している「家族」制度なるものは、先述したように、明治になった「家」制度と同義のものとして創出されたにすぎず、決して古くからの伝統ではない。「夫婦同氏」にしても、それが日本で初めて法制化されたのは、明治三一年(一八九八)公布・施行の明治民法においてであり、それ以前には政府も、夫の家に入った女性は「所生の氏」を称することを原則としていた。前近代においてお「夫婦別姓・別苗字」の事例はみられるが、それとて妻の人格を尊重してのことではなく、歴史的に固有の意味をもっていた。
 夫婦同氏、夫婦別氏のどちらを主張するにせよ、その正当化の根拠を安易に歴史に求めるのではなく、氏をめぐる問題は、どのような形にしたら、日本国憲法にうたう「個人の尊厳と両性の本質的平等」を実現できるか、という憲法の原則に立って議論すべきであろう。


法学の研究者・教育者として、改めて考えてみたいと思います。

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Posted on 2015/08/19 Wed. 17:04 [edit]

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