甲府地裁平成民事裁判例の紹介(9)-平成18年2月15日判決 

いよいよ10月も末となり、研究室のある甲府も肌寒い週末でした。

今朝の南アルプスはコチラ↓ 富士山は冠雪したようですが、鳳凰三山方面はまだのようです。
20161031風景

さて、本日の紹介裁判例は、宝石の販売業者が隣接地でのマンション工事が原因で損害を被ったと主張する-甲府地裁平成18年2月15日判決(裁判所ウェブサイト掲載判例)-です。法学的には立証不備による、当たり前すぎる判決なのですが、甲府の地場産業である宝石販売業者が当事者ということで取り上げてみます。

【事案の概要】
土木建築業者である被告Yは、ダイヤモンド、宝石の輸入、輸出、国内販売等を目的とする原告Xの事務所のある3階建てビルの近くで、マンション建設工事を行っていた。平成17年1月から2月にかけてのある日の朝、原告Xの代表者が事務所の机の上においてあった283gの天然グリーンベリル・アクアマリンが床下に落下しており、亀裂が生じていた。原告Xは、事務所からの帰宅時には机にあるのを確認しており、いままで宝石が机上から落下したことがないことから、被告Yの実施した工事により発生した強度の振動以外に原因は考えらないとして、亀裂が生じたことによる損害679万円余の損害を請求した事案である。

【判旨の概要】 請求棄却
裁判所は、「原告の請求が認められるためには、まず第1に、被告の工事によって発生した振動により原告事務所の机の上に置いてあった宝石が床上に落下したことが証明されなければならない」という損害賠償請求の原則論を述べた上、本件では原告Xからその証明がなされていないと請求を一蹴した。むしろ、落下した状況を誰も見ておらず、被告Yの工事以外の原因が不在の間に発生しているはずであり、宝石の落下原因が被告Yの工事だけしかないと断言することは到底できないし、宝石の落下を発見した日に関する主張が二転三転していること、また、被告Yが行ったとする「山留め工事」では大きな振動が生じないことの証拠が被告Yから提出されていることからすると、被告Yの工事と宝石落下事故との間に因果関係が存在すると認めることはできないし、そもそも宝石落下事故の発生自体についても疑いなしとはいえない

【簡単な紹介】
1)甲府は、江戸時代中期から水晶の研磨加工が行われており、現在でも有力な地場産業です。甲府市ウエブっサイトの子供向けページ<わくわくキッズ>に以下のような紹介が出ています。

 「研磨宝飾(けんまほうしょく):
甲府市は、ドイツのイーダオーバーシュタイン市とならび「世界二大宝石加工の街」に数えられるほど、宝石加工がさかんなところです。
甲府市では、宝石(ダイヤ、サファイヤ、エメラルドなど)や貴金属(金やプラチナなど)を使って、指輪・ネックレス・イヤリングなどのアクセサリーや、置物・茶器のように家にかざるものなどがたくさん作られ、日本全国で売られています。
むかしは、甲府市の北部でとれた水晶を使っていましたが、今は世界中から仕入れた水晶や、人工水晶を使っています。また、今は水晶・宝石・貴金属をつかった新しい品物の開発や、ほかの地域の伝統産業と組み合わせた新しい製品の開発も行っています。」

2)原告のいう宝石、天然グリーンベリル・アクアマリンは、非加熱で緑色のアクアマリンのようです。女心の分からない庵主にはチンプンカンプンなのですが、あまり高価なものでもなようです。原告Xの主張によると宝石の価値は1グラムあたり15万円とのことですが、果たしてどうなのでしょうか。
3)最近の裁判例は仮名が一般的で、その上でこのシリーズでは実名を調べて、さらっと触れたりすることもありますが、今回は原告の名誉を考えて、調べていません。
4)不法行為に基づく損害賠償の要件は、①加害者の故意または過失、②被害者の権利侵害、③損害の発生、④上記②と③の因果関係の存在となり、これを被害者が立証するのが原則です。②が全く立証されていません。原告は代理人弁護士を依頼していたのか・・・不明です。

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Posted on 2016/10/31 Mon. 17:13 [edit]

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留年について-京都大学カウンセリングルームの呼びかけ 

ここ数日甲府は朝夕も過ごしやすい日和です。

雲に覆われている本日の南アルプスの風景はコチラ↓ お山はもうすぐ冬景色でしょう。
20161019風景

昨日、Twitterをのぞいていたらいたところ、京都大学学生総合支援センター・カウンセリングルールのウェブサイトの留年についてという記事が一部で話題になっていました。

URLはコチラ↓
https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/counsel/ryunen.html

かく言う庵主も大学を5年かけて卒業したので、はてさてどんなことが書かれているのか、興味をもって読んだ次第です。論調としては、「大学留年・中退≠順調な人生の破綻・挫折」、ということでした。最近の京大生はこんなことを深刻に悩んでいるのかと思いつつ、記事を引用をさせてもらいながら、簡単に紹介したいと思います。なお、カウンセリングルームによる記事であり、学生の精神的な支援に目的があることは、承知しておく必要があります。

まず、記事は、留年一般について、大学では高校までとは違って、少なくない学生が留年していることを指摘し、その理由が大学というシステムにあるとしています。京都大学でも約2割の学生が留年しているとしたうえで、

これだけの数の人が留年したり、退学したりするということは、留年や退学は、単に個人の失敗としてのみ捉えられるべきものではないということです。つまり、現在の日本の社会において大学というシステムは、一定数の留年や退学を生み出すようにできているものなのだということです。
 そこには、大学入学に至るまでの進路相談やキャリア教育の体制、大学の入試のあり方、カリキュラムのあり方、修学支援体制、転学科・転学部制度、編入学制度、大学での進路相談やキャリア教育の体制、企業の採用のあり方など、数多くの要因が多重に関与しています。
』 


上記のような理解に立った上で、不本意に留年してしまった場合には、留年を繰り返すおそれがあるとし、その要因として、次の6つをあげています。

(1)留年を家族や友人に隠そうとする
(2)一挙に挽回しようとする
(3)日々の楽しみを自分に与えない
(4)卒業しなければ生きていけないと考える
(5)時期尚早に「来年からがんばろう」と考える
(6)自分は他の学生より明確に劣っていると考える


これらの要因から、繰り返しの留年にスパイラルに陥らないための方策をあげています。たとえば、朝に出かける習慣をつけようだとか、学内のネットを使って大学の情報とつながろうだとか、普通の生活をしようといった提案です。この提案を見る限り、かなり精神的に参っている学生に向けた記事のようにも見えます。

記事の最後には、「留年・中退というキャリア」との見出しで、冷静に自らの人生を考えてもらう提案をしています。少し長目に引用をしてみたいと思います。

 もしあなたが「留年したら終わりだ」とか「中退したら破滅だ」とか、悲壮な思いで考えているとしたら、冷静になって欲しいと思います。全国平均で、大学を中退する人は入学生の1割ぐらいいます。つまり、毎年、おおよそ5万人の大学中退者が生み出されているのです。留年する人も2割ほどいます。  <中略>
 留年中の人は、中退してしまったら就活で不利になると恐れている人もいるかもしれません。たしかに、企業の採用方針の狭量さゆえに、現在のところそういう現実があることは残念ながら否定できません。調査では、大学中退者は、全体として非正規雇用就労者の割合が高いということが示されています。調査からは他にもさまざまな面で大学中退者の困難な就労状況が読み取れます。 <中略>
 しかし、そうした不条理な現状を踏まえた上で、だからといって中退したら人生が終わりだとか、破滅だとかいうわけでは決してないということにも目を向ける必要があります。 <中略> 著名人に限らず、当たり前に普通に働いてこの社会を支えている大学中退者はいくらでもいるのです。留年経験者なら、なおのこと、たくさんいます。

 <中略> でも、正直に言えば大学生活に意味を感じられず、退学したいし、その方がいいんじゃないかと思っているけれども、退学したら「人生破滅」だという恐怖のイメージから、やはり退学はできないという考えに傾いている人もいるかもしれません。自分には合っていない、やめたい、という心の声がしても、いったん始めたことを途中でやめるのは意気地なしだとか負け犬だとかいう考えのために、その心の声に耳をふさいでいる人もいるかもしれません。期待してくれている親やお世話になってきた先生に申し訳ないという思いから、どうしても退学は口にできないと考えている人もいるかもしれません。
 続けるという選択を支えている根拠の大きな部分が、やめられないという理由にあるのなら、一度、やめるという選択肢を落ち着いて現実的に考えてみてはどうでしょうか。大学をやめてできることを考えてみましょう。胸の奥やお腹の底から聞こえてくる心の声にじっくり耳を傾けてみましょう。そういう作業を十分に経た上で、やっぱり続けるという選択になる場合もあるでしょう。その場合でも、やめるという選択肢を検討することは無駄ではないはずです。やめるという選択肢を十分に検討することで、続けるという選択は、より積極的で能動的なものになることでしょう。
 みなさんの人生の時間は有限であり、貴重なものです。みなさんが有意義な決断をされることを願います。日本の社会の現状において、こうした判断は誰にとっても難しいものです。人生の岐路において、絶対に失敗のない完璧な決断などありえません。迷って当たり前、たじろいで当たり前です。必要ならば一緒に考えていきましょう。それとともに、大学における進路変更がより自由に安心してできるような社会をみんなで実現していきたいものです。
』 


研究室の庵主が卒業した法学部では、旧司法試験の時代でもあって、約3割の学生が留年していました(留年1回では終わらず、2回や3回というのざらでした)。これらの留年は、上記の記事と異なり、不本意な留年ではないということになります。もちろん同級生の中には、単純な単位不足による留年者(庵主もこれに近い!!)もいました。

確かに彼・彼女は今何をしているんだと、庵主の同窓生の間でも情報のない人や極めて情報の少ない人はいます。しかし、不本意な留年=ドロップアウトとなっていないことは、庵主の経験からも断言できます。長い人生を想像してみましょう。

ただし、地方国立大学で教員をしていると、留年しても大丈夫だよ、と簡単に言えない事情があります。それは、学生(あるいは親)の経済問題です。実家の経済事情から自宅通学できる地方国立大学を選択したという学生が毎年少なからず入学しています。

京都大学の指摘するように留年が大学や社会というシステムに起因する必然ならば、これらの学生たちが勉学を続けるという選択肢を確保できる社会にしてゆくことを求めてゆきたいと考えています。

Posted on 2016/10/19 Wed. 12:37 [edit]

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カタカナ語が幅を利かす-法学でも同じ?? 

研究室のある甲府も朝夕涼しくなりました。
研究室の庵主はどうも寝冷えをしたようで、今日はティッシュが手放せません。

今日の研究室の窓からの南アルプスの様子はコチラ↓ 紅葉はまだですね。
20161012風景

さて、数日前の日経新聞に「金融用語なぜ!? カタカナ連発」という記事が出ていました(10月10日付け金融面)。以前このブログが他のSNSかは忘れたのですが、法学の世界でもこのような現象があることに危惧を表明した記憶があります。くどいようですが、また記事にしました。

日経新聞の記事のぱっと見はコチラ↓ ちょいと破れているのがご愛敬。
 日経新聞20101010

日経新聞の会員の方のためのURLはコチラ↓ 庵主は会員ではないです。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08189370Z01C16A0NN7000/

この記事に例示されているカタカタ用語としては、
○ フィデュ―シャリー・デューティー
○ スチュワードシップ・コード
○ インベストメントチェーン
○ ベンチマーク
○ コーポレートガバナンス・コード


それぞれの用語の意味については、興味があれば、みなさんで調べてもらうとして、なぜ金融用語が使用されているかについて、日経新聞の該当記事が説明していますので、ちょっと引用させてもらいます。

「これまで国会議員に説明する機会が多い霞が関では、カタカナ言葉を使わずにかみ砕いて表現するのが常道だった。最近になって金融庁があえてカタカナ言葉を多用し始めた背景には、東京市場の構造変化がある。~<中略>~
 もはや日本の金融市場の活性化は国内投資家向けの投資促進策だけでは成立しない。『海外投資家に透明性や公平性を理解されなければ、日本市場は停滞から抜けられない。活発な投資家にも通じる共通言語を使う方が効果的』(金融庁幹部)というわけだ。


完全同意しずらい説明ですが、グローバル市場化が進んでいる金融市場では仕方ないとしておきましょう。
ところで、カタカナ用語は庵主も末端にいる法学の世界でも、いつの頃からか目に付くようになってきました。そして、庵主の企業法務担当者時代の末期には法務部内でも、怪しげなカタカナ用語が乱れ飛んでいました。

上の金融用語でみても、フィデュ―シャリー・デューティーは会社法や信託法で、スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードは会社法で、しばしば見かける用語です。ところで、これらの用語を、一般的なアメリカ法の辞書である BLACK'S LAW DICTIONARY を見てみると(今見ているのは第9版)、次のようでした。

○ フィデュ―シャリー・デューティー 見出し語あり
○ スチュワードシップ・コード 見出し語なし。stewardの見出し語となっているが、stewardshipの用例はなし。
○ コーポレートガバナンス・コード 見出し語なし。corporate governanceは見出し語も用例もなし。


英国法の辞書を見ると状況が違うのかもしれませんが(手元にないので不明)、用語法としてどのように評価したらよいのか迷うところですね。

カタカナ語を振りかざして、訳のわからいない話を押し通すということが行われていないとよいのですが・・・。
ちょいと心配な状況です。


Posted on 2016/10/12 Wed. 18:46 [edit]

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