「企業活動と人権」に関する思いつき 

またまた長らく更新できませんでした。
今年から授業内容を組み替えたことや少し毛色の変わった非常勤講義を持ったことから、授業準備が自転車操業状態だったことが原因です。今週でだいたいの講義が終わり、更新の仕方を忘れないように、簡単に記事で更新しておきたいとおもいます。

久しぶりの南アルプスの風景はコチラ↓ この季節あまりスッキリ見えることは少ないです。
風景20160729

以前このブログにも書いたと記憶していますが、
同僚の教員は着任前の庵主について、企業出身者ということで
お金儲けのためには犯罪行為だってへっちゃらだよ、とか戦争だってやっちゃうよ
という考え方の人ではないかと妄想していたそうです。

そういうこともあって、たまたま1コマ余裕のできた非常勤先の講義で、 「ビジネスと人権」 について、話をすることにしました。

庵主が前職で管理職になったころ、関西本社の会社であったこともあり部落差別 の問題について研修がありました。また、勤務中には、男女差別や各種ハラスメント も話題になることが少なくありませんでした。

もっぱら日本国内における企業と人権の問題も重要なのですが、その一方1990年代から多国籍企業による発展途上国における人権侵害とビジネス活動との問題がクローズアップしてきました。グローバル化の影の部分ですね。
すなわち、代表例として、先進国の企業は、より安い労働力を求めて発展途上国に生産拠点を移し、その生産拠点となった取引先であるいはそのまた取引先(サプライチェーン)において、児童労働奴隷的労働劣悪な労働環境などの労働上の問題、環境破壊などの環境問題などが生じているという問題です。

企業に身をおいた経験としては、確かに、
人権はお金儲けにつながらない(逆にコストがかかる)
取引先やその先の問題なので関知できないし、干渉すべきではない

といって、人権問題の発生をなかったことにしたいという誘惑にかられる企業人が少ないと推測します。

しかし、人権問題があるような企業またはその企業の商品に対しては、国際的な不買運動や訴訟提起が行われるようになっているだけでなく、持続可能な企業活動とはいえないとして、企業としても国内だけでなく、国際的な人権問題から目を背けられなくなっています。

国際的な人権問題について、ここでいう人権とは何でしょうか?
2011年に国連人権委員会に報告された「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」(邦文訳は国際連合人権センターに掲載→ http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/ )によると、最低限として、国際人権章典(世界人権宣言、国際人権規約など)と国際労働機関宣言であげられた基本的権利に関する原則とされています。

したがって、昨今話題の「日本固有の伝統に基づいた人権観」とは異なる可能性大です。
人種、国籍、宗教にかかわらず、普遍的と国際的に考えられている人権が想定されています。

また、先ほどの人権員会報告の中に企業の責任に関して次のような原則があります。
企業は人権を尊重すべきである。 これは、企業が他社の人権を侵害することを回避し、関与する人権への負の影響に対処すべきことを意味する。」(付録一般原則11)
この原則の解説には、「企業は、司法手続の不偏不党性を弱めかねない行為などによって、国家が人権義務を果たす力をむしばむべきではない。」とされています。たとえば、自分たちの事業を裁判所の審査の対象外とし、司法上の規制を受けないようにすることを働きかけるなどの行動は、重大な懸念があるといえるでしょう。

上記以外にもいろいろ気づく点があるのですが、またの機会に・・・・

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Posted on 2016/07/29 Fri. 14:12 [edit]

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諏訪の古社から見る風景 

いよいよ前期も押し迫ってきました。
今年は新しい講義があったり、従来の講義も内容を見直したりしていたところ、事前の準備が尽きて、現在自転車操業中です。そのため、更新が長期にわたってできていません

この週末に長野の茅野市と諏訪市に行ってきました。
備忘的な意味を込めて、記事を更新しておきたいと思います。

いにしえ人の気分になって、諏訪湖南岸の古社から諏訪地方を見てきました。

諏訪湖南岸のお社としては、諏訪大社上社(本宮・前宮)が有名です。諏訪盆地の南西側にある守屋山をご神体とする神社で、古くからの祭祀の形態を保っているといわれています。これら神社の前面は宮川と上川が流れる低地となっており、狩猟採集の時代にはそのような低地ではなく、神社があったような微高地に集落が営まれました。
本宮・神長官守矢氏の居館・前宮は、山のふもとの微高地に一直線にならんでいます。

神長官守矢史料館の職員さんが他のお客さんに説明していたことをメモしておきたいと思います。

諏訪大社の上社は出雲系の神様をお祀りしていて、歴史が古いが、下社は大和系の神様を祀っていて神社としては新参者だ!!

現在はどちらのお社もタケミナカタノカミとヤサカトメノカミを主としてお祀りしていて、この点違いはないのですが・・・
諏訪湖の南岸の人たち地元愛を感じて今いました。



諏訪大社上社本宮 から風景↓
諏訪1
古くからの諏訪の中心地とされています。

諏訪大社上社前宮 から見た風景↓
諏訪2
前宮は元々諏訪神社の大祝である諏訪氏の居館「神殿(どうどの)」があり、諏訪大祝家の居館が移った後もこお場所で引き続き神事が行なわれています。

神長官守矢家屋敷の 御左口(ミシャグジ)神社 から見た風景↓
諏訪3
右手の建物が守矢家のお屋敷、左手の建物が神長官守矢史料館になります。この谷には、高遠に通じている杖突峠への峠道の旧道があり、神長官が伊那・高遠からの人の流れの諏訪への入り口を押さえていたことになります。

Posted on 2016/07/13 Wed. 18:37 [edit]

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