命を見直し-大飯原発再稼働差止請求事件判決 

研究室のある甲府は、少し雲は多めですが、その合間から差し込む日差しは夏のようです。

今日の研究室の窓からの風景はコチラ↓ 自然豊かな南アルプス。
20140522風景

さて、昨日福井地方裁判所で関西電力大飯原子力発電所の再稼働差し止め請求が認められたことが大きなニュースになっています。既にネット上には判決理由の部分だけだとか、全文のダウンロードができたりします(全文だと別紙を含めて100頁超なので印刷注意!)。

一応判決文にも目を通すことができました。マスメディアとは違った見方で考えてみたいと思います。

判決は、3つの点を指摘します(判決文・理由1、2)。
①ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべき
②個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益の総体である人格権は、憲法上の権利であり、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下に最も価値を有する権利である。生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる。
③福島原発事故、チェルノブイリ原発事故から、原発から250キロメートル圏内に居住する住民の生命に影響をあたえるおそれがある。

その上で、判決は「原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。」とし、差し止めについては経済的自由である原子力発電所の稼働は人格権より劣位の権利であって、このような権利を奪うような「事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」と説示しています(判決文・理由3(1))。

これらが規範定立の部分にあたります。その後、裁判所は、このような規範(法律の条文やその解釈に該当)に、本件があてはまるかどうか(法学上は「あてはめ」といいます)の作業を行い、今回の差し止めの結論を導いています。

この点、朝刊各紙の一面の見出しを見てみると、次のようになります
朝日新聞13版:大飯再稼働認めず
        福島事故後の初の判決 生存の権利と電気代「同列にできず」
産経新聞12版:大飯再稼働認めず
        福島事故後初の判決 3・4号機 「危険あれば当然」
日経新聞12版:大飯原発再稼働認めず
        福井地裁判決 厳格な安全性求める
毎日新聞13版:大飯原発運転差し止め
        「安全性に欠陥」 福井地裁判決 福島第1念頭
読売新聞13版:大飯原発再稼働差し止め
        福井地裁判決 「地震想定、楽観的」

朝日新聞を除いて、見出しは上記①に関連するところを挙げています。確かに、結論として「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」(判決文・理由7)と言い切った①の部分が判決としては重要です。

電気代云々の部分(判決文・理由9)は、被告関西電力の主張を判決では考慮しないとする部分なので、判決の中ではあまり重要な部分とはなりません。その意味で朝日新聞の取り上げ方にはミス・リーディングの要素を含みます。ただし、この重要かどうかの問題は法的観点に立った評価にすぎません。
実はこの部分にこそ今回の裁判所の姿勢の一端が見えるような気がします。

その部分を引用しておきます。

被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。


私たちも立ち止まって、考える必要があるでしょう。
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Posted on 2014/05/22 Thu. 15:20 [edit]

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甲府のノラ-猫編8号 

研究室のある甲府もいよいよ暑くなってきました。

向こうに行ってくれないかニャ~あ!

ノラ8号

Posted on 2014/05/19 Mon. 16:11 [edit]

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神秘主義とアリエール 

研究室のある甲府は今日も暑くなりそうです。
研究室の庵主は、今日から週末にかけて、研究会やら何やらで東京・大阪をふらりふらりするので、今日のうちに記事を更新しておきたいと思います。

5月11日の日本経済新聞に興味深い記事が出ていました。
電子版のURLはコチラ→ http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1200G_S4A510C1CR0000/?n_cid=TPRN0009

【ベルリン=共同】ドイツで販売した洗剤の容器に印字された「88」「18」の数字が、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーを礼賛する隠語だったとして、米家庭用品大手プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)が販売を停止した。DPA通信などが11日までに伝えた。

 「8」はアルファベットで「A」から数えて8番目の「H」に当たり「88」は「H・H」。ネオナチは「ハイル・ヒトラー(HEIL HITLER、ヒトラー万歳)」の意味で使うという。「18」は「A・H」で「アドルフ・ヒトラー」。消費者から指摘を受け販売停止を決めた。

 洗剤は「アリエール」で、従来は洗濯83回分の容量のものを同じ価格で5回多く計88回使用できることをアピールした。18も洗濯が可能な回数の表示で、6月開幕のサッカーのワールドカップ(W杯)を意識し、ドイツ代表のユニホームの背番号を模した。

 ドイツでは公の場でナチスを礼賛すると刑法の民衆扇動罪に問われる。ただDPAによると「88」などの数字を使うだけで罪になることはない。


数字を象徴として、一定の意味を読み解くというのは、ヨーロッパの神秘主義、カバラなどに良くみられますね。
また、日本でも知られているものとして、「666」という数字もあります。これは映画オーメン・シリーズで有名になったようですが、もともとは『ヨハネの黙示録』第13章第18節に出てくるものです。新共同訳で同章15節から18節を引用してみましょう(日本聖書協会聖書本文検索より)。

第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。


このあたりの感覚は日本人にはなかなか理解できないところもあります。庵主も一時期エリファス・レヴィの本(人文書院刊の日本語版)などを読んで、理解しようとしたこともありますが、ヘブライ語の素養がなかったこともあり、途中で挫折した記憶があります。

日本ではグローバル化ということが大学や企業で叫ばれていますが、このようなサブカル的な思想も知っておかないとビジネス上はトラブルが生じるという良い事例を提供してくれました。

Posted on 2014/05/14 Wed. 11:23 [edit]

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方便としての事例-集団的自衛権の議論から 

研究室のある甲府の朝は涼しいのですが、みるみる気温が上がり、今日も暑くなりそうです。しかし、研究室の窓から見える南アルプスにはまだまだ雪が残っています。

今日の風景はコチラ↓ 山頂はまだまだ冬山かもしれません。
20140512風景2

政府は集団的自衛権・集団的安全保障に関して相変わらず前のめりの姿勢を見せていますが、これにはいろいろな立場があるので、今回は触れません。庵主がむしろ興味を持ったのは、政府サイドからいろいろな事例が唐突に俎上に上ってきたことです。

事例は便利なもので、ある抽象的なものを説明するときにはかかせません。庵主が教えている民法の講義でも、社会経験が乏しい学生さんあいてにどんな事例を使って説明しようか、いつも頭を悩ませています。

たとえば、未成年者に関する民法5条について、考えてみましょう。民法5条というは次のような条文になっています。

(未成年者の法律行為)
第5条  未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。
  2  前項の規定に反する法律行為は、取り消すことができる。
  3  第一項の規定にかかわらず、法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は、その目的の範囲内において、未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも、同様とする。


このうち第3講は「法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は、その目的の範囲内において、未成年者が自由に処分することができる。」となっていますが、具体的にはどのようなことでしょう?

手元にある教科書類からいくつか抜き出してみます(順不同)。
● 四宮和夫=能見善久『民法総則「8版」』(弘文堂、2012年)38頁
 →文房具を買うために親が与えた金銭で文房具を買う
● 内田貴『民法Ⅰ[4版]』(東京大学出版会、2011年)108頁
 →ケーキ代として渡したお金でケーキを買う
● 山野目章夫『民法 総則・物権[5版]』(有斐閣アルマ、2012年)43頁
 →(バレンタインに)女の子が男の子にチョコレートをあげる
などがありました。

事例が妥当なら、抽象的な法律の条文も規定内容が何となく分かってきますね。特に学生の理解を助けるための単純化された、あまり現実に発生しそうのない事例のことは「教室事例」と呼ばれ、庵主もしばしば利用しています。

ただし、注意をしなければいけないのは、ここでの事例は説明のツール、あるいは方便にしか過ぎないということです。

今回の政府が予定している事例集はどのようなものなのでしょうか?
共同通信社による昨日の配信記事によると以下のようになっています(今回は沖縄タイムズプラスから)

 安倍晋三首相は9日昼、自民党の石破茂幹事長と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使容認問題をめぐり来週公表する「政府方針」に合わせ、具体的事例に沿って対応の方向性を示す文書を添える考えを示した。首相は、行使容認に向けた有識者懇談会(安保法制懇)の報告書が13日にも提出されるとの見通しを示した。

 首相は「抽象的なものでなく具体的にこういうケースにどう対応するか実感を持って分かってもらうようにしたい」と述べた。石破氏が会談後、記者団に明らかにした。

 「政府方針」は来週の法制懇による報告書提出を受けて示される予定だ。(共同通信)


やはり方便としての事例ですね。
方便に気を取られすぎると、大事なことや本質を見落とします。気を付けて議論をしてほしいものです。

Posted on 2014/05/12 Mon. 14:13 [edit]

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甲府のノラ(特別編)-神戸のノラ・イノシシ 

今日は、甲府のノラの特別編で、神戸のノラ・イノシシ(?)です。
JR摂津本山駅西側の天井川には、イノシシがいつも山から下りてきています。GWに研究室の庵主が産土様詣りに行ったときも、いつも通りいました。ある神戸在住者によると、「イノシシは好き好んで街に出て来ているのではなくて、人間がイノシシの住んでいるところにまで家を建てたから仕方ない」とのことです。

ウリ坊の様子はコチラ↓ 今日は1匹しかいませんでした。
20140505天井川

別の成体は川の中でエサ探し↓ 暗渠の上に水が流れています。
20140505天井川3

天井川という名前ですが、現在はコンクリートの掘り込みになっているので、イノシシと人間が直接接触する危険は少ないです。地元の人たちは、イノシシがいても、ほとんど興味を示しません。

Posted on 2014/05/08 Thu. 17:38 [edit]

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日本人の術語翻訳は退化しているのか 

明日からいよいよゴールデンウイークも後半です。
天気はまずまずの予報なので南アルプスあたりも登山客で賑わうと思いますが、研究室の庵主は御縁のある関西の神社にお参りするので、今夜から奈良の実家に戻る予定です。

今日の南アルプス方面の様子はコチラ↓ まだまだ雪がありますね。
20140502風景

さて、最近マイクロソフト社の閲覧ソフトであるインターネットエクスプローラーに重大な脆弱性が発見されたことがニュースになっています。研究室のある山梨大学でも学内用ポータルにも掲示が出ているのですが、重要性の低いほかの掲示と同じ扱いなので、全く目立っていません。気が付いていない教職員も多いのではないでしょうか。

修正プログラムは今日の未明から提供され始めたとのことですが、この記事も念のためGoogle Chromeを使って書いています。庵主のようにコンピューター素人にとって、何がなんやらよくわからない事態です。その理由の一つが、英語由来の術語(学術語、テクニカルターム)が全く頭に入ってこないし、入っていないことです。

術語を横文字のまま使っているのは、コンピュータの世界で顕著ですが、実は庵主の専門である民事法の世界でも広がってきています。先日NHKの番組(番組名は忘れました・・・)でも、明治の文明開化期に西欧諸国の専門書が日本語に翻訳され、その際に術語や概念が日本語に翻訳されたといっていました。民事法の世界でも、フランスとドイツを中心に当時の先進的な法律が参照・導入された関係で、多くの法律用語も日本語に翻訳されましたが、最近では特に金融法や会社法の分野でアメリカから導入された制度や考え方について、米語をそのまま使っているケースをしばしば目にします。

ファイナンス・リース、フランチャイズ、ネッティング、コンプライアンス、デュー・デリジェンスなどなど、数多くの言葉が使われており、定着(?)しています。

庵主は日本語絶対主義者ではないのですが、少なからずの違和感をもっています。

確かに、日本にない制度や考え方を導入する場合、原語をそのまま使うことはある意味正しいのですが、日本に定着する過程で、日本的な変容を受けることを考えると、これらの用語もそのうちジャパニーズ・イングリッシュになってしまうおそれがあります。

また、これらの用語を使っている人の多くは、アメリカ帰りの弁護士・金融関係者が目に付き、術語を支配することによって、先行者利益あるいは他者からの優位性の確保が図られているのではないか、とも思ってしまいます。

「得るものがあれば、失うものあり」で、このような傾向は、北東アジア(漢字文化圏)における日本法の地位を微妙にさせています。台湾大学の陳自強教授がある論文(タイトル失念。日本語と中国語の両方見たはずなのですが・・・。後日追記します)において、かつての日本が西欧諸国の法律用語を漢字に直したことによって、それを輸入した北東アジアにおける法律をリードしてたが、現在はそのようなことが少なくなったと警告されていました。庵主も同感です。

1つ例をあげて今日は終わりにします。

Civil Code(仏) ⇒ 民法(日) ⇒ 民法(中華民国) ⇒ 民法(中華人民共和国、韓国)

Posted on 2014/05/02 Fri. 10:48 [edit]

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