身延町の七面山敬慎院に連れて行ってもらいました【本編】  

研究室のある甲府も本日はどんよりとした雨雲に覆われています。
この週末は、天気がいまひとつのこと、いろいろと所用が重なっていることもあり、お仕事ウイークエンド と庵主は勝手に銘打って、研究室に登校しています。

今日の南アルプス(峰ないですが・・・)はコチラ↓ 雨は降っていません。
20171014風景

さて、一昨日木曜日に予告した、七面山への登拝記録をメモっておきたいと思います。

七面山は身延山久遠寺の奥にあり、身延山のご守護をされる七面大明神 が住まうところとされ、標高1700メートル付近に七面大明神をお祀りする七面山敬慎院があります。

七面山敬慎院の位置関係。国土地理院の電子国土から。


土着信仰色の強い庵主としても以前から興味のある聖地でした。今回たまたま、甲斐市の常説寺の高橋住職からお誘いがあったので企画に乗っかったというわけです。特に、高橋住職からのお誘いメールに「10月11日(水)、12日(木)と七面山へ登山する予定でおります。~中略~。ご予定が合えば、ご一緒しませんか?ちょっと神秘的な体験ができると思います。」あり、神秘主義的傾向もある庵主としては是非ともの参加になりました。

甲府駅を7時過ぎに出発し、途中でピックアップしてもらった後、高橋住職の車で、山梨県南巨摩郡身延町羽衣に向かいます。羽衣は、七面山を源流とする春木川沿いの小さな集落で、七面山の表参道登山口となっている集落です。登山口の対岸には、”白糸の滝” という滝があり(写真なし)、滝行で身を清めることもできるようです。

さて、いよいよ登拝開始です。ここの標高は500m。
201709七面山2

敬慎院まで、標高差1200mを一気に登ってゆきます。
途中には4か所の坊--神力坊、肝心坊、中道坊、晴雲坊--があり、休憩できる施設となっています。

二丁の神力坊(山側から)。法具も売っています。
201709七面山3
十三丁の肝心坊
201709七面山4
二十三丁の中通坊。後ろ姿は先達を務める高橋住職
201709七面山5
三十六丁の晴雲坊---写真取り忘れ( ;∀;)

4時間の登り続けるというのは、精神的にかなり辛かった、というのが本音です。

これも修行

四十六丁を過ぎ、4時間の登山の後、いよいよ寺域に入っていきます。

和光門から入る、今回のご同行のみなさま
201709七面山6

あと一登りをすると、いよいよ随身門、そして敬慎院(宿坊)へと続きます。

随身門。彼岸の中日には、この門からご来光の光が入ってくるんですよね。
201709七面山7
敬慎院の宿坊入口。 お堂は畏れ多くて写真を撮っていません。ここに一泊します。
201709七面山8

ところで、「ちょっと神秘的な体験」ができたのか? についてですね。

結論を言うと、ご先達から薬酒をたくさん頂戴し、神仏、精霊、魑魅魍魎、狐狸妖怪と感応する間もなく、寝入ったので、良く分かりませんでした。生きていない人はあちらこちらで徘徊されていたようですが・・・

で、考えてみると、高橋住職のおっしゃった神秘的体験といのは、コチラ↓だったのかも・・・

翌朝の富士山からのご来光
201709七面山9
神々しい高橋住職
201709七面山10

庵主は法華信者・日蓮宗徒ではないので、再拝機会があるかどうか分かりません。
よい修行の場であったことは間違いありません。

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Posted on 2017/10/14 Sat. 13:58 [edit]

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身延町の七面山敬慎院に連れて行ってもらいました【予告】 

昨日から1泊2日で、山梨県南部の身延町にある七面山敬慎院 に連れて行っていただきました。

標高1700メートルの高地にあるのですが、道路は通じておらず、徒歩でしか行けない(急病人はドクターヘリで運んでもらえる)という日蓮宗の修行の場です。

参拝記をメモしておきたいと思うのですが、本日疲労につき、予告だけです。

案内図はコチラ↓ 表参道を往復しました。
七面山案内図


Posted on 2017/10/12 Thu. 17:22 [edit]

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虁を祀る神社-山梨岡神社(笛吹市鎮目)の備忘録 

ここ10日ほど忙しかったり、寝冷えで体調を少し崩したりと更新ができないままになっていました。
今日も午前中は、国の出先機関の委員のお仕事(大学教員にはこんなことも回ってきます。役に立っているのかどうか・・・)があり、昼前から研究室で作業をしています。

本日昼前の南アルプス方面の様子はコチラ↓ 最近は霞むことが多くスッキリ見えません。
20170710風景

さて、寝冷えで体調を崩す前に、笛吹市春日居町鎮目に鎮座する 山梨岡神社 にご挨拶に行ってきました。鎮目の山梨岡神社は「山梨県」の語源にもなったとされる由緒正しい神社です。県内には、同名の神社がほかにもありますが、延喜式内社の論社となっているのはこの神社といわれています。

山梨岡神社のご様子はコチラ↓ 裏のお山がご神体・旧社地の御室山です。
山梨岡神社1

研究室の庵主が興味をもっていたのは、古社であるとか、語源がどうとかではなく、当神社に 「 虁の神 」の神像が祀られているということです。ところで、「虁の神」とはなんでしょう・・・。

他の方のブログがウエブサイトを見ていると、次のような図版が載せられいます。
山梨岡神社2

ちなみにこれは、平凡社ライブラリー版の高馬三良訳『山海経』(平凡社、1994年)152頁に載せられている挿絵です。

今日はちょっと違う図版もあげておきますね。
山梨岡神社3

これは、徐客≪山海経 白話全訳彩図版≫陝西師範大学出版社、2012年 の454頁に掲載されている、明の時代の 蒋応鎬≪雷澤之神≫ です。

いずれにせよ牛のような、一本足の怪奇な動物(神?)ですね。
では、どのような神なのか、手元で参照できる2つの文献から探ってみましょう。

司馬遷『史記』孔子世家より(伊藤誠司『中国の神獣・悪鬼たち』(東方書店、2013年)から孫引きです)
「魯の季桓子が井戸を掘って土製の容器を見つけた。その中に羊のようなものが入っていた。「犬のようだか・・・」と偽り、その得体のしれない物がなにかを孔子に尋ねた。すると、『木石(山林)の怪は虁(一足獣)罔リョウ(門構えの中に良。魍魎)であり」云々


先ほどの『山海経』大海東経より
「東海の中に流波山あり、海につきであること七千里、頂上に獣がいる、形は牛の如く、体は蒼くて角がなく、足は一つ。これが水に出入りするときは必ず風雨をともない、その光は日月の如く、その声は雷のよう。その名は虁。黄帝はこれをとらえてその皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたいた。するとその声は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという。」



山に住む精霊で、雷や雨に関係している感じですね。興味があれば、Wikipediaに比較的詳しく説明されているので、みてはいかがでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

日本でも各地で祀られていたこともあるようです。
山梨岡神社では七年に一回神像のお披露目があるそうなので、注意しておきたいと思います。

Posted on 2017/07/10 Mon. 16:14 [edit]

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御岳金櫻神社の大々神楽を参観してきました。 

昨日土曜日に以前にお話しした御岳参詣道を再興しようというグループの方に誘われて、御岳金櫻神社で催される大々神楽を参観してきました。今回は春の大祭(土曜日は前日祭、日曜が本番だったようです)。

境内から御岳の里はコチラ↓ 山里ではちょうどサクラが盛りでした。
20170422金櫻1

次第としては、まず一連の神事が行われた後(ここで地固めも場の清めも行われました)、いよいよお神楽の開始です。

まずは、さまざまの神様による舞が行われました。

戸隠の神
20170422金櫻2
天鈿女命
20170422金櫻3
御崎の神
20170422金櫻4

このあたりから演者さんの都合があって演目の順番が少し聞いていたのと変わってきました。

遍幣の舞? 道教・陰陽道の地固め「返閇」が訛ったものかもしれません。
20170422金櫻5

さらに、剣舞、四弓と続きました。いずれも清めの意味があるのでしょうか?
20170422金櫻6
20170422金櫻7

四弓で使用された矢の矢羽には「交通安全」とか「家内安全」との祈願文と一緒にお守りがついており、これを観客に向けて射っていました(実際はほとんど飛ばず・・・)。魔よけの弓の場合、弦で音を鳴らすことが行われるので、実際に射るっていうのは初めて見ましたが、あとで少し調べてみるとあちらこちらで行われているようですね。

金櫻神社では、神使が白狐と狼とされているそうです。このあたりも複合的な信仰の来歴を感じます。

で、お神楽では白狐の舞が行われます。狼に関する舞はあるのかしらん。
20170422金櫻8

この後、一番物語性があると思われるる稲田姫と大蛇が舞われ、クシナダヒメの持つ巻物をめぐる争いが演じられました。
20170422金櫻9

一旦は巻物を大蛇に奪われますが、スサノオ(?)によって取り戻され、クシナダヒメとスサノオは仲良く退場です。
20170422金櫻10

そして演目の最後は、大山祇が舞われ(過去の写真を見てもこの舞が最後のようです)、お餅撒に突入し、無事に大々神楽が終了に相成りました。所要時間は昼休憩を入れて、約4時間でした。
20170422金櫻11
20170422金櫻12

保存会のみなさんお疲れ様でした。

Posted on 2017/04/23 Sun. 15:51 [edit]

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義民・島田富重郎の墓所に行き当たりました 

センター試験を週末に控え、何かと落ち着かない大学です。
先週末には雪が積もったものの、その後は晴天が続いております。週末に雪予報が出ていないことが、山梨県内の受験生にとっても、運営する側にとっても何よりです。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ 快晴です。
20170111風景

先週末の雪が降る前に、大学の裏山を散策してきました。
コースは、積翠寺バス停→要害山(要害山城跡)→深草観音→石堂峠→鬼山→大蔵経寺山→JR石和温泉駅の約5時間コースでした。大蔵経寺山の山の由来は、平地に下ったところに大蔵経寺というお寺があることです。この大蔵経寺には、明治初年の「 大小切騒動 」において、その責任者のひとりとして処刑された島田富重郎のお墓があったので、ご挨拶をしてきました。

島田富重郎さんのお墓はコチラ↓ 香華を持っていないかったので、申し訳ありません。
島田富重郎

結構日本史好きの庵主なのですが、山梨に着任するまで、大小切騒動というのは聞いたことがありませんでした。

大小切騒動とは、現在の山梨県下の幕府直轄領で江戸時代以来行われていた「大小切」と呼ばれる金納を組み込んだ税制を、地租の全国統一と財源の確保を狙った明治政府が廃止したことに反対する農民たちによって、明治5年(1872年)8月に起きた強訴事件をいいます。

事件の概略は、wikipediaにも出ているので、割愛します。
wikipediaの該当記事はURL https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B0%8F%E5%88%87%E9%A8%92%E5%8B%95

ちょっと個人メモとして、大小切という税制の詳細はさまざまだったようで、高島緑雄 「『大小切租法』起源の再検討 」駿台史学6号(1956年)77頁から江戸時代の税制の記述を抜き出しておきます。

「大小切租法」の基本形は、田畑貢租(本途見取共) の総額を三分し、その一を「小切」と称して金納、残額2/3を「大切」と云って古くは現物米納であったが、後に(この聞の年代は不明)現物米納の「大切」をさらに三分して、その一を「大切金納」と称し、御張紙直段をもつて金納せしめ、「大切」の残額2/3 を米納とした方式である。<中略> 3/9である小切金納および2/9の大切金納は、それぞれ一定の換算値をもつて金納される~ <中略> 時期による米価の騰貴、変動によつて換算値が変化することなく一定の値が保たれていたことを考えれば、農村内部に貢租の一部を金納化する条件が成立しているかぎりにおいて、この租法の有利性を推察し得る。


また、機会があれば、言及したいと思います。

Posted on 2017/01/11 Wed. 16:33 [edit]

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