立証責任について 

昨日後期入試の合格発表もおわり、いよいよ来年度モードに突入の研究室です。

今朝の南アルプスの様子はコチラ↓ やはり昨夜のお山は雪だったようです。
20170322風景

最近、「森〇学園」に関する国会での質疑において、どこかの首相が
「立証責任は野党であるあなたがたにあるんですよ」
逆切れする場面をテレビで見たことがあるのではないでしょうか?

どこかの首相は、法律(訴訟法)用語として「立証責任」を使用しているわけではないのでしょうが、訴訟法の専門家ではないまでも、法律をかじっている庵主としては用語法に違和感を感じてしまいました。

訴訟法の教科書(それも手元にある刑事訴訟法と民事訴訟法の教科書。庵主は専門ではないので、少し古い版になっています。)を見てみると、立証責任という用語は使われず、挙証責任(刑事訴訟法)と証明責任(民事訴訟法)という用語が使われています。いずれも両義的な用語なのですが、先ほどの逆切れ発言を訴訟法上の用語と対照してみると、争いになっている事象の存否について、
誰が証拠を提出しなければならないか?
という意味(主観的挙証責任・主観的証明責任)で使われているようです。

その責任の所在は通常法令で定まっています。
一般論的にいうと、その事実の存否を主張する側が主張することとなります。
まあ、当たり前といえば当たり前ですね。

ただし、主張された側の当事者が証拠物を滅失させてしまったときにはどうなるのでしょう。
刑法上は、被疑者が証拠を隠滅しないことは期待できないとして、刑事罰の対象になっていません(刑法104条参照)し、上記の立証責任に特段の影響は与えないようです(自信なし)。民事訴訟上は、証拠文書を滅失等させた場合について、証明責任の軽減あるいは転換を認める規定が置かれています(民訴法224条)。

今回は国会と政府との関係です。
訴訟とは事実の存否を争う両者の状況が全く異なりますね。

これらを踏まえて、どう考えるかは国民一人一人への宿題です。
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Posted on 2017/03/22 Wed. 16:43 [edit]

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カタカナ語が幅を利かす-法学でも同じ?? 

研究室のある甲府も朝夕涼しくなりました。
研究室の庵主はどうも寝冷えをしたようで、今日はティッシュが手放せません。

今日の研究室の窓からの南アルプスの様子はコチラ↓ 紅葉はまだですね。
20161012風景

さて、数日前の日経新聞に「金融用語なぜ!? カタカナ連発」という記事が出ていました(10月10日付け金融面)。以前このブログが他のSNSかは忘れたのですが、法学の世界でもこのような現象があることに危惧を表明した記憶があります。くどいようですが、また記事にしました。

日経新聞の記事のぱっと見はコチラ↓ ちょいと破れているのがご愛敬。
 日経新聞20101010

日経新聞の会員の方のためのURLはコチラ↓ 庵主は会員ではないです。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08189370Z01C16A0NN7000/

この記事に例示されているカタカタ用語としては、
○ フィデュ―シャリー・デューティー
○ スチュワードシップ・コード
○ インベストメントチェーン
○ ベンチマーク
○ コーポレートガバナンス・コード


それぞれの用語の意味については、興味があれば、みなさんで調べてもらうとして、なぜ金融用語が使用されているかについて、日経新聞の該当記事が説明していますので、ちょっと引用させてもらいます。

「これまで国会議員に説明する機会が多い霞が関では、カタカナ言葉を使わずにかみ砕いて表現するのが常道だった。最近になって金融庁があえてカタカナ言葉を多用し始めた背景には、東京市場の構造変化がある。~<中略>~
 もはや日本の金融市場の活性化は国内投資家向けの投資促進策だけでは成立しない。『海外投資家に透明性や公平性を理解されなければ、日本市場は停滞から抜けられない。活発な投資家にも通じる共通言語を使う方が効果的』(金融庁幹部)というわけだ。


完全同意しずらい説明ですが、グローバル市場化が進んでいる金融市場では仕方ないとしておきましょう。
ところで、カタカナ用語は庵主も末端にいる法学の世界でも、いつの頃からか目に付くようになってきました。そして、庵主の企業法務担当者時代の末期には法務部内でも、怪しげなカタカナ用語が乱れ飛んでいました。

上の金融用語でみても、フィデュ―シャリー・デューティーは会社法や信託法で、スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードは会社法で、しばしば見かける用語です。ところで、これらの用語を、一般的なアメリカ法の辞書である BLACK'S LAW DICTIONARY を見てみると(今見ているのは第9版)、次のようでした。

○ フィデュ―シャリー・デューティー 見出し語あり
○ スチュワードシップ・コード 見出し語なし。stewardの見出し語となっているが、stewardshipの用例はなし。
○ コーポレートガバナンス・コード 見出し語なし。corporate governanceは見出し語も用例もなし。


英国法の辞書を見ると状況が違うのかもしれませんが(手元にないので不明)、用語法としてどのように評価したらよいのか迷うところですね。

カタカナ語を振りかざして、訳のわからいない話を押し通すということが行われていないとよいのですが・・・。
ちょいと心配な状況です。


Posted on 2016/10/12 Wed. 18:46 [edit]

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江戸時代の殺人も時効になるのか? 河北新報の記事から 

国立大学は、今週は大学入試センター試験と各大学の行う個別学力検査の間の少し落ち着いた時期を迎えています。入試の担当者になっている研究室の庵主も少し落ち着いているので、いまのうちに記事を更新しておきたいと思います。

今朝の研究室の窓からの南アルプスはコチラ↓ お山ではどれくらい雪が積もっているのでしょう。
20160127風景

今日のYAHOO! ニュースに興味深い記事が出ていました。警察の運用ってそうなっているのかという目からうろこが落ちる思いでしたので、専門ではないのですが、記事にしておきたいと思います。

YAHOO!ニュースのURLはコチラ↓ リンク切れ御免
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160127-00000006-khks-soci

河北新報によると、昨年10月に宮城県七ケ浜町花渕浜の護岸工事現場で見つかった男性の白骨遺体が、室町時代から江戸時代の人骨だった可能性が高いことが26日、県警への取材で分かったそうです。この白骨遺体は、身長約160センチの中年男性とみられ、頭蓋骨に骨折の痕が見つかったので、県警が事件性の有無を調べていたところ、考古学で用いられる「放射性炭素年代測定」で推定した結果、150年以上前のものと判明したとのこと。遺体は近く町に引き渡され、無縁仏として埋葬される見通しだそうです。
.
この鑑定結果を受けて、宮城県警は 「既に時効が成立している可能性が高い」とする文書を検察庁に送る方針であるとしています。

へぇ~、というのはこの時効云々という点です。
現行法では、確かに殺人罪の公訴時効は30年です(刑事訴訟法250条1項1号)が、そもそも公訴時効の問題なのかという点に疑問を持った次第です。

150年以上も前になると、現在の刑法の適用はありません。刑罰法規については不遡及原則というものがあり(憲法39条1文参照)、仮に上記の白骨遺体が犯罪行為に関連するものであってもその後に制定された現行刑法典に基づいて罰することができないはずです。このような考え方は、明治15年に施行された旧刑法以来明文の規定が置かれています。

仮に江戸時代に事件が起こっていた場合、仙台には伊達藩があったので、その藩法が適用されると思われます(確かなことは伊達藩政のことを調べてみる必要があります)。少なくとも殺人事件であれば、江戸時代でも犯罪行為にあたる可能性が高く、公訴の可能性は考えうるが、刑事訴訟法上の公訴時効成立によって仙台藩法に基づく公訴提起・処罰はできないとの理屈を立てているのでしょうか?

一度刑事訴訟法に詳しい先生に聞いてみたいと思います。

Posted on 2016/01/27 Wed. 15:35 [edit]

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古本の署名が気になって 

今年もあと1か月余りとなり、途中になっている調べものをバタバタとしていると、ついつい更新が疎かになってしまいました。

さて、先月神保町で開催された「第56回 東京名物神田古本まつり」で研究室の庵主が購入してきた本について備忘禄的に記事にしておきましょう。露店でたまたま目についた、石田文次郎先生の『債権総論講義』と『債権各論講義』(いずれも弘文堂書房・昭和12年刊行)が1冊200円だったので、衝動買いしてしまいました。

石田文次郎って誰?という方も多いと思うので、ウィキペディアから一部をそのまま引用すると、
石田 文次郎(いしだ ぶんじろう、1892年 - 1979年)は、日本の民法学者・裁判官・弁護士。法学博士(京都帝国大学)。東北帝国大学法文学部民法講座教授や、京都帝国大学法学部教授を歴任した。
という昔の偉い先生です。物権法の領域ではいまでも、引用されることがあります。

今回は、石田先生のことではなく、この本の元の持主についてです。

本のカバーと裏表紙はコチラ↓ 持主の署名がありますね。
20151126平野1

持主の署名を拡大したものがコチラ↓ 
20151126平野2

本全体の状態は良かったのですが、随所に達筆の書き込みがあり(そのために安かったのかな)、当時のメモもはさんだ状態で売られていました。そのことから、持主であった「二回生 平野大太郎」さんとは誰なのか、が庵主の最近の悩みでした。

当時石田先生は京都帝国大学で教鞭をとっておられたこと、「二回生」という書き方は関西特有のものであることから、実家に帰った折に京大法学部の卒業生名簿をみてみました。

すると、「平野大太郎」という名前がありました。
卒業生名簿によると、昭和15年(1940年)に京大法学部を卒業し、昭和の終わり頃には、八尾にお住まいになって、大阪にある薬局チェーンの代表取締役になられていたようです。太平洋戦争の前後や事業家としての足跡については、これから機会を見つけて、調べてゆきたいと思います。

法学の場合、古い本を参照することがしばしばあり、学術論文では50年前や100年前の本でも普通に引用します(理系の先生からすると信じられないそうです・・・)。たいていは、図書館や復刻本を利用するので、書き込みなどは少ないのですが、古書店を経由したものには、書き込みのある本、元の所有者の署名・記名のある本に出会うことがあります。

最近そんな本の方が好きになってきました。

Posted on 2015/11/26 Thu. 18:07 [edit]

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【個人的速報】同僚のコメントが新聞に出ました。 

明日の首都大学での講義の準備のため、庵主は本日も研究室に来ております。

さて、新安保関連法制に関していろいろと報道もされているところです。その折、大学の同僚である石塚准教授のコメントが朝日新聞山梨版に掲載されたので、【個人的速報】を出しておきたいと思います。

新聞記事の様子はコチラ↓そういえば、金曜日に知らない人がカメラをもって来ていました。
20150614新聞

掲載された石塚さんのコメントを勝手に要約すると次のとおりです。

●日本国憲法9条を読むと、個別的自衛権は認められるとしても、米軍等を守る「他衛」ができるとは読み取れない
●政府の新3要件は、適用判断が政府に委ねられており、歯止めにならない
憲法は国家権力を縛るもので(立憲主義)、政治家が「やりにくい」と思うのは、立憲主義が機能しており、良い憲法だ。
●戦争放棄や平和的生存権を有する日本国憲法は、西洋の憲法より一歩先を行っている
●平和的生存権が書かれた全文と9条は、(戦禍の及んだ)アジアとの和解する決意を示す条文でもあった。


石塚さんと以前話をしたとき、庵主は企業出身なので、お金儲けのためなら基本的人権は二の次だし、儲けるためなら戦争でも何でもしちゃうよ的な立場の人かもしれないと危惧していたそうです。

石塚先生のご期待に反して、上記のコメントには条件なしで同意します

Posted on 2015/06/14 Sun. 10:29 [edit]

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